本来「知る」こととは、喜びであるはずです。
しかし、世の中には嘘の情報・無益な情報が氾濫し、その分だけ「知る」ことの喜びが失われているように思います。
「嘘の情報を知ったところで、何になろう。無益な情報を知ったところで、何になろう。」
"真実" の情報を知るからこそ、喜びがある! "有益" な情報を知るからこそ、成長し発展する!
私もこれまでの人生において、数多くの嘘の情報・無益な情報を掴まされ、その数だけ虚しい思いをしてきました。
私は学生時代、学校の授業に対し漠然と「つまらない」と感じていました。
そしてそれは、多くの方が同様であるように思います。
学校の授業で学ぶことが、本当に良いものであるとするならば、
何故多くの方がつまらないと感じ、もっと自発的に喜びをもって学ぼうとはしないのでしょうか?それこそが、学校の授業で何を教えているか ということに対する答えではないでしょうか。
あるいは、私は肌に湿疹が出るようになってしまった時、その湿疹を治したかった。
しかし、皮膚科で処方される薬をいくら飲んでも・塗っても、一向に湿疹は治らない。それで私は「先生、何で湿疹が出てしまうのでしょうか?どうすれば根本的に治るのでしょうか?」と質問をしました。
皮膚科の先生は、何も答えてはくれませんでした。
話をはぐらかされ、いつも通りの薬が処方されました。
確かに、自分の人生が、こんなことの連続であるなら、「知ろう」なんて気も、失せてくる。
そういう下地があって、テレビのような洗脳装置が身近にあって、知らぬ間にその虜になってしまい、
それを以って、真に「考えない」「知る喜びを知らない」という状態に陥ってしまう 今の世の中には、そういった側面もあるのかもしれません。
そういう意味においては、私は「知る」ことの喜びを知った時がありました。
世の中の嘘の情報・無益な情報の通りに生き、何度かの失敗を経て、騙されていたことに気付いたり、これこそが「本物」だと思うものとの出会いがありました。
その時には、嘘の情報・無益な情報を得ていた時には無かった "感動" や、面白い!と思う気持ちがありました。
証⑤ 健康というジャンルの真実が見えてきたことによって、謙虚さを学ぶ
競馬という名の、生物学と現象学を熱心に学んでいたことが、今の自分に大きく活かされている
また、"知識" という面以外においても、学校の授業とは異なり、漫画やゲームは面白いと感じていました。
作品によっては、様々な面白いアイディア、考え抜かれた世界観やキャラクターやストーリー、感動させる要素などが豊富にあり、1つの作品として優れたものであったからこそ、そう感じたのだと思います。
私が子どもの頃に触れていた漫画やゲームは、逆にこの現代でこそ高く評価されているものも多くあり、
その意味においては、「あの頃自分が感じていた感覚は、間違いではなかったのだ」と思いました。
基本的に人は、良いものに触れた時に、感動したり、面白い!と感じたりする。
それは学問のみならず、漫画・ゲーム・小説・映画・音楽・芸術… 全てがそうであるように思います。
ただし問題は、今の世の中は、何が良いもので、何が悪いものなのか、悪なる支配者層らによって価値観が大きく歪められている。
嘘を真実と言い、真実を嘘と言い、凄くないものを凄いと言い、美しくないもの美しいと言い、悪いものが良いものであるかのように、言っていたりもします。
だからこそ、あらゆることに疑問を持ち、確かなこと(=真理)に基づいて、全てのことを判断しながら生きるのが、この世界において必要なことではないか と思いました。
どうか嘘の情報・無益な情報で氾濫する世の中が変わり、全ての人が「知る」ことに喜びを感じられる、正常な世界へとなっていきますことを心よりお祈りいたします。
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