最近の若い子は、驚くほど打たれ弱い。
この間アルバイトで入った学生さんも、「合わない」という理由で、わずか1週間でやめて行った。
合わないって、服の試着じゃないんだから、と。
試着した服を、返却用ハンガーラックにかけるようなノリで、アルバイトをやめていく。
なんというか、もっと重いものだろう。アルバイトとして雇用され社会の中で働くことって。
学生であったとしても、それくらいの想像力はあるはずだ。
何故そんなに軽々にやめられるのか、やめようと思うのか、我々の世代は理解に苦しむ。
そんな微風で簡単に倒れるなら、
強風が来た時には、一体どれほど吹き飛ばされることになるだろうか。
そんな若い子たちの将来が、心配でならない。
もしもこの世界に、風が存在していなかったら、
樹木は丈夫に育つことが出来ず、背が高くなると、折れたり曲がったりすることが多発するという。
樹木とは、若いうちから風による衝撃を受けることで、それに耐えるために幹がより強く強靭な材質になるよう、細胞を成長させているのだそうだ。
これと同じように、人間も小さい時から、風という名の「ストレス」を受けていないと、総じて軟弱に育つ。
私が小学生だった頃、
今では、どこぞの軍隊にでも所属しないとお目にかかれないであろう "鬼軍曹" みたいな教師が、当たり前のようにいた。
私も子どもの時は、
「あぁ、何で学校の先生はこんなに恐い人ばかりなんだろう。みんなが僕んちのおばあちゃんのように、とってもやさしい人達だったら良かったのに」
と、心底思ったものである。
でも自分が大人になってみて思うことは、
「そういう先生から教えられて、本当に良かったな」ということである。
それ故、私たちの世代は、打たれ強い人が多い。強風に突風にさらされ続けた木のように丈夫で、大地に深く根を張っている。
だから、ちょっとやそっとの風では、ビクともしない。
人生には、風が吹く。艱難の風だ。
どんな人も、人生が無風で終わるなんてことは有り得ない。
それ故に、人生には求められる訳だ。「打たれ強さ」のようなものが。
厳しい経験や苦労を重ね、ストレスにさらされ「打たれ強さ」を身に付けた人は、
普通の人が耐えられないことを、耐えられる。
普通の人が苦に感じることを、さほど苦に感じない。
普通の人が普通だと思っていることを、むしろ「恵まれてる」とか「有難い」とか思い・感じて、生きられる。
つまり、打たれ強いということは、
自分の身も守り、且つ、普通のことを、より感受性高く、そこから喜びや恵みを感じて生きられる という訳だ。
人生において「打たれ弱い」ということは、致命的な弱点の1つであるように思う。
だからこそ、子どもは風に吹かれることも必要で、
その後に、子ども自身が様々な厳しい経験や苦労を重ねていく中で、ちょっとやそっとの風では倒れない、強く立派な "大木" へと成長していく。
それによって、この厳しい世の中を生き抜く力を、手にすることができるのだ。
だから若い子たちは、この事を理解し、
何事も軽々に投げ出さず、風にさらされ、今からでも打たれ強さを身に付けていってほしいと、切に願う。
今、世の中には、風が吹いている。
それは冷たく、厳しい風だ。
そのような風が吹きすさび、嵐の様相を呈している。
それは一見すると、悪いことのようにも見える。
しかし、あえて私は言おう。
「風よ吹け」と。
それによって、人々の認識感が変わるように思うからだ。
テレビ新聞を見ない人が増え、今の政治に期待できないと思う人も増え、
真実を求め、SNSがより活性化し、悪がさらに暴かれ、真の平和を願うようになり、人生とも真剣に向き合う…
嵐が過ぎ去り、風が止んだ後にこそ、
その世界は、
以前よりもっと良い世界へと、変化している。
そんな風に思うからだ。
(第17話へ続く)