神様の愛、悪魔(サタン)について、
この世の理(ことわり)、この世の真実、
あらゆることを学ばさせていただき、
人間にとって、「真の幸福とは何か」ということを知った。
それは、自分の中にある罪(人間の悪い部分)を無くし、神様の愛を学び、
それによって、悪魔(サタン)に打ち勝ち、人間の創造主である「神様と愛を成して生きる」ということだった。
人間を不幸にしているのは、人間の中にある罪が原因だった。
怒りっぽい、嫉妬深い、プライドが高い、自己中心的、わがまま、嘘をつく、暴力、悪口、悪意、高慢、虚栄心、無知、頑固、不平不満、正当化、自慢、偽善、欲望を抑えきれない、省みない、思い上がり、開き直る、すねる、杜撰、怠惰、惰眠、不潔、不安心配…
こういった人間の悪い性質を、多く抱えるほど、
他人にも害を与えるばかりか、自分まで辛い。
罪が少なければ少ないほど、相手も自分も、幸福になる。
もちろん、そんなに簡単に自分の悪いところは消えたりはしない。
だからこそ私達は、神様に祈り求めながら、1つ1つ悪いところを無くせるまで、努力を続ける。
その上で、神様の愛を学び、神様を愛し、隣人を愛して生きる。
そういう人だけが集まった場所は、
どれほど居心地が良く、どれほど愛に満ちているだろうか。
実際に、教会で過ごした3ヶ月間は、かけがえのない日々だった。
私はこちら教会に、信徒のような形で通わせていただいた。
教会には、美奈々さんの他に、「あの方」の有料記事を購読している、信仰歴が長い2人の信者の方が働いている。
美奈々さんは何でも知っていて、人格も非の打ちどころがなく、右も左も分からない私から見れば、神のような人であるが、
2人の信仰者の方も、天使のような人達だった。
よく食事にも連れて行ってもらったり、
一緒に、賛美やお祈りを捧げたり、御言葉や聖書を学んだり、
自然を見に、山や海に行ったり、一緒にスポーツをしたりしたこともあった。
やっていること自体は、誰もがやるような普通のことだったりする。
なにか特別な良いことがあったという訳でもない。
でも振り返ってみると、何故かすごい恵み深い日々であると感じ、まるで天国の中にいるようだった。
こんな話を聞いたことがある。
ヤクザの子分2人が、兄貴分に呼び出されて、高級焼き肉店で食事をした。
子分2人はその席で、明日、自分達は大きな犯罪を犯さなければならないことを知った。
その時に食べた高級肉の味は、「まるで砂を噛んでいるようだった」と言う。
自分の状態や状況が悪いと、何をやっても、何を得ても、そこには何の喜びも無い。
食事に至っては、味覚そのものさえ変わってしまうほどである。
その真逆の世界に、来たような感じだった。
神様はこの地上に、愛と平和の理想世界、「地上天国(千年王国)」をつくることを、御計画されていらっしゃるという。
この世界を創造された「神様」と共に生きてこそ、
神様からの導きや守護を受けられる、分からないことはなにも無くなる、全ての問題は解決する
自分自身さえ分からない、自分にとっての最良のもの(最良のアイテム、最良のプラン、最良の食事、最良の健康法、最良の作品、最良の家、最良の友、自分が最も向いている天職、何十億人というの異性の中から自分と最も相性の良い理想の相手 等)も、
あなたのことを全てご存じの神様が、祝福として与えてくださる。
悪人は裁かれ滅び行き、義人は守られ祝福される。
悪や不条理はどんどん消えて行き、正しいことを行った人が正当に評価され栄え行く。
自分が理想としている "以上" のものを得られ、そしてそれらを失うという心配もない。
まさしく、完全な幸福だ。
野良犬は、雨風に打たれ、空腹に耐え、1日中エサを求めて歩き回り、他の犬や動物と喧嘩等もしながら、ようやく命を繋ぐ食事にありつける。
しかし、犬よりも高次元の存在「人間」に飼われている犬は、飼い主から好かれる行いをするならば、雨風に打たれる心配もなく、エサが自動的に与えられ、人間から可愛がられ、野良犬時代では考えられなかったような美味しいエサが出てくる可能性もあるし、とっても気持ちいいマッサージをしてもらえたり、人間が遊んでくれたりもする。
真に賢い犬は、人間に向かって助けを求め、尻尾を振るのだ。
人は、独りで生まれ、
何も分からないまま生き、何も分からないまま死んで行く
そう思っていた。
神様(あなた)を知るまでは。
なぜ人は、食べないと生きていけないのか
なぜ人は、自分の髪の毛一本白くも黒くもできないのか
なぜ人は、完全無欠の生命体ではないのか
それは、創造主が、人間をそのように創造したからだ。
私達人間の真の幸福とは、人間よりも高次元の存在、
人間の創造主「神様」のもとにある。
(第27話へ続く)