この世界には、神様が存在しているのと同時に、
また悪魔(サタン)も、確かに存在している。
その両者が存在していることを認めた時に、
この世界のあらゆる謎が、謎ではなくなる。
悪魔(サタン)については、「あの方」のブログから、多くのことを学ばさせて頂いた。
悪魔は存在しているし、しているからこそ、支配者層達も悪魔を熱心に拝んでいた。
存在しないのに、熱心に拝んだところで一体なんになろう。
ただ、悪魔を拝んでいる人間も、本当は悪魔から利用されているだけであり、
一時の繁栄と引き換えに、悪魔が成したかったことに、加担していた。
美奈々さんからより詳しく、
悪魔(サタン)について、そして霊界のことについても、教えて頂いた。
悪魔は、神様のことを「宿敵」だと思っていて、
悪魔が望んでいることは、人間が神を忘れ、神を知ることのないまま、人生が閉じることだった。
そうすれば、巨悪を行った人間が行くような恐ろしい地獄ではないにしろ、この地上を亡霊となって彷徨うといった生を、あの世で永遠に生きることになってしまう。
もちろん悪魔としては、人間が極悪人ばかりになることがベストではあるものの、神様の御心は「人間が神に立ち返って欲しい」である故に、神を知らない人間が大勢現れるなら、それでも悪魔としては "御の字" であり、神に十分反逆していることになるのだそうだ。
人生を、不毛に消費させる
「私がこの世界に抱いていた違和感の正体は、これだったのだ」と、はっきりと分かった。
ただ不毛に、意味ない勉強をさせられ、
ただ不毛に、支配者層企業の下で彼らを潤す為に奴隷のように働き、
ただ不毛に、テレビやゲームやギャンブルやお酒やゴルフなどに、大量の時間を搾取されている。
気付いたら、死の間際だ。
私は見事に、悪魔が敷いたレールの上に乗っていた。あまりにも膨大な時間を搾取されていた。
だが幸いなことに、
そのレールを、途中で降りられた。
人生とは、1つの壮大な "なぞなぞ" を解いているようなものだ。
人は、1つ1つの情報は分かっても、「その情報の全てが、一体何を意味するのか?」が分からなければモヤモヤしたままで、
それが分かった時は、とてもスッキリした気持ちとなる。
例えば、
・それ単独で存在していても、何の意味も成さない
・セットとなるものがあってこそ、それに初めて価値が生まれる
・それの存在を、見たことも聞いたことも無いという日本人は、まずいないだろう
・それの形は様々あるが、本質的には全て同じだ
・それは、人間から使われ酷使され、時には人間の感情をぶつけられることがある
・1つよりは2つあった方が楽しい。
・大人も必要で欲しがるが、子どもの方がもっと必要で欲しがる
それが、「ゲームのコントローラー」であると分かった時に、
人は、とてもスッキリした気持ちとなる。
これと同じように、人間が抱えている大いなる疑問の数々は、全て1つの答えに向かっている。
・何故、私達人間は生きているの?
・どうしてこの世界は存在しているの?
・どうしてこの世界は、こんなに綺麗なの?
・どうしてこの世界は、こんなに便利なの?
・どうしてこの世界には、完璧な循環システムが存在しているの?
・どうして、多くの生命は生まれ続けているの?
それは「神は存在している」だ。
これはなにも空想の話ではない。
「神と悪魔の存在を認めた時に、この世界の謎が謎では無くなる」という、とても現実的な話だ。
ビッグバンとやらで何故かこの世界が誕生し、何故か最初の生命体が誕生し、何故か生命は進化して、何故か次から次へと生命は生まれ、何故か多くの生命が生きるのに必要な糧がこの世界に溢れている…
等と考えるから、全てが分からなかったのだ。
そして、そういった間違った知識の数々も、悪魔(サタン)がこの世界にばら撒いた嘘だ。
人間が、神を知ることがない為に。
私はこの事を知った時、人生という推理小説を読み終えた気持ちになった。
「そういうことだったんだ…」と思い、全てを理解し、ゆっくりと本を閉じた。
そして、目を上げると、
嘘で塗り固められたこの世界の景色は、ひび割れ、音を立てて崩れ去っていき、
その裏に隠されていた、
光り輝く、本当の世界が、姿を現した。
(第26話へ続く)