「努さんは、私達が生きているこの現代も "聖書の続き" だと言われたら、どう思いますか?」
美奈々さんは唐突に、こんな質問を投げかけた。
私は質問の意味がよく理解できなかったので、お尋ねした。「それはつまり…神様がこの世界をご覧になられ、イエス様やパウロのような方を通して、この地に働きかけている…といった、そういう意味でしょうか?」
「そうです!」
「神様から遣わされた人なのかを見分ける、確かな方法があります。それは、聖書の封印を解いた人かどうかです」
「イエス様もパウロも、一体このようなことを、どこから悟ったのだろうか?という次元の高い話を人々に述べ伝えられました。 それは神様から遣わされた人であり、神様と繋がり、啓示を受けて、伝えていたからです」
「一方、当時のファリサイ派律法学者達は、イエス様の言葉を受け入れず、ずっとモーセの律法に縛られていました」
「そしてそれは、この現代においても、全く同じことが起きています」
「旧約聖書と新約聖書を基にし、数多くの新しいことを悟り、今までの時代より遥かに次元の高い、真理と神様の愛を述べ伝えている人こそが、この現代に神から遣わされた人です」
「それが、『あの方』であると…?」
「私の言葉だけで信じろというのは、無理がありますよね」
美奈々さんは、ポケットから飛行機のチケットを取り出して、言った。
「なので直接、努さんの目で、確かめてみてください」
「以前は、有料記事を購入して読んでみれば、ネット上からでもその人が本物なのかを判断することができました。しかし、今の状況では、この方法しかないのです」
…後日、私はチケットを握りしめ、空港へと向かった。
このような展開になったということは、教会で過ごした3ヶ月間を通して、私が「あの方」にお会いさせていただけるのを許諾されたことを意味していた。
そういえば美奈々さんは、最後にこんなことも言っていた。
「私も、最初は信じられなかったのですが… この世界とは、聖書の続きであり、イエス様の時代から2,000年の時が経ち、新約時代が終わって、今は『成約時代』の始まりなのです!」
「まさか、そんなことが… でも本当にそうなんじゃないか?」という気持ちもあった。
美奈々さんからは、本やネットでいくら調べても分からなかったような聖句の解釈の答えが、次々ともらえる。しかも私は師から教えられたことをそのまま伝えているだけですと言う。
弟子である美奈々さんがこれほど凄い方なら、「あの方」は一体どれほど凄い方なのか?想像もつかなかった。
なので、「あの方」にお会いしてみたいという想いは日増しに強くなっていたし、
神様から遣わされた人であるという話も、眉唾だとは思わず、「この目で確かめたい」と思った。
何故なら、そうなのだとするならば、
そこに「この世界の全ての答え」があるはずだからだ。
人生とは何か?人は何のために生まれてきたのか?
人は死んだ後、どうなるのか…?
機体は轟音と共に地を離れ、
風さえも追い越し、乗客を「愛媛」の地へと運んでいる。
窓からの景色を眺めながら、これまでのことを振り返っていた。
私は50という齢になったことを機に、自分もいつかは死ぬのだという現実と向き合い、人生が苦しくなった。
でも苦しかったからこそ、色々と考えたし、行動にも変化があった。
今から振り返ってみると、それも神様からのお導きだったのだと思う。
もしあの時、あのまま何も行動をしなかったら、
私は今も、ただ淡々と、そばを茹で上げるだけの生活だったに違いないのだから。
なにも分からないまま、
「分からない」ということを分からないまま、生きていた、
あの頃の自分
もう、あの日の空には戻れない
旅客機は今日も無事に運行され、定刻通りに到着した。
降り立ってみると、心なしか、やわらかな空気に包まれているような感じがする。
行こう。「全ての答え」がある場所へ。
でもまずは、会ってお伝えしたかった。
聖書に出会うきっかけを与えていただいたことへのお礼と、
それから、この世の中に、こんなにも愛に満ち溢れた世界があったことに、心から感動したこと。そして自分も、この世界で生きて行きたいということ。
そしてゆくゆくは、この世界の真実について、神様の愛について、人々に述べ伝えていきたい ということを。
…この世界の答えは、
誰もが通るような、だだっ広い道の先には、決して無い。
嘘だらけの世の中に背を向け、
世界が向かう方向とは反対に、私はあぜ道を進む。
(最終話へ続く)