6月から7月にかけ、自分の中にあった物理的な罪を、次々と捨てていった影響によるものだと思いますが、
自分のYouTubeチャンネルを見て、やけに悪いところが、次々と目について行ったのです。BGMと声のバランスが悪い、音声に不快な音が混じっている、声が暗い、等々
「何で今まで、こういうところが分からなかったんだろう?」と、自分でも不思議に思うくらい、それらのおかしいところが分からなかったのです。
罪が多いと、本当に目が塞がれ、おかしいことがおかしいって分からないのか、と思いました。
今までの動画を削除して、1からやり直そうかと考えた程でした。
しかし結論としては、将来的には「罪が多いとこうなります」「最初はこれくらいのクオリティでした」という証にすればいいじゃないか、と考え「これらの悪い部分を改善し、とにかく次に良い動画を作ることに集中しよう」と思いました。
また、LGBTという大きな罪を捨てた後の自分は、「何か良いことがあるんじゃないか」と、期待していなかったと言ったら嘘になります。
しかし、良いことが起きるどころか、
YouTubeチャンネルの現実を目の当たりにしたり、その他、自分にとって悪いことが重なったりもしたので、
ある日私は、明け方のお祈りの時間に神様に訴えました。「なんなんですか、これ…」と。
私がここ最近に行ったことは、どう考えても、小さなことではないじゃないですか。なぜ何もないんですか?何もないだけならまだしも、悪いことが起こるんですか?と、
その翌日、
なんと、その日の御言葉が、私に向けた御言葉としか思えない内容だったのです!
内容としては、期待していたような感じではなく、厳しい御言葉ではありましたが、
「えぇぇ!?昨日、私が祈ったことを、本当に見てくださっていて、聞いてくださっていたんだ!」と、この日ほど実感した日はありませんでした。
これまでも、自分に言われていることかもしれないと思った時は何度もありました。
しかしなんというか、1日の御言葉そのものが、昨日あのようなことをお祈りした、私に対してとしか思えない内容だったので、大変驚きました。
「今日というこの日を、絶対に忘れないようにしよう」と思いました。
このように、御言葉を聞いている義人は、自分の生活を見ていないと絶対に伝えられないであろう内容を、RAPTさんから宣布されることがあり、
神様は生きておられ、私にも本当に目を注いでくださっており、そしてRAPTさんが啓示を受けて伝えられているのだ、と確信するしかないことを体験します。
どうか1人でも多くの方が、本当に神様は義人1人1人をご覧になられているということを知り、御言葉を聞く人が増えてくださいますことを、心よりお祈りいたします。