翌日、職場へと赴き、
私から話を振ることはあまり無いのだが、この素晴らしさを知ってもらおうと、口にせずにはいられなかった。
「私、SNSを始めてみたんですよ。えぇ。2、3人に1人はやっているという、あれです。 実際にやってみたら、こんなにも多くの人がやっている理由が分かりましてね…」
と、SNSの魅力を話してみたが、
打てども響かず。どこ吹く風。といった感じで、誰も、関心を持たなかった。
相変わらず、テレビの情報を、今日も明日も、明後日も。 見るつもりなのである。
私としては、正直、予想外だった。
肩透かしを食らったような気分で、もっと関心を示す人がいると思っていた。
恥ずかしながら、昨晩は、
SNSを始めてくれる人が何人かいて、それで話が合う人ができて、その人達と職場で新しい情報を交換する。今日という日がそんな日になることを想像しながら、眠りについていたのだ。
さしずめ、彼らは「嘘の孤島」の中で生きている住民のようなものである。
テレビ新聞を見なくなった人には、それが分かる。 だからこそ、私達はテレビ新聞を見なくなったのだから。
私は港にボートを用意し、そして彼らに提案した。
「ここは嘘の孤島です。この島の中には嘘と無益しかありません。なのでこの島を飛び出して、他の島を見にいきませんか?」と。
しかし、何言ってんだこいつという目で見られ、私の提案は却下された。
私のボートに乗れば、彼らも嘘の孤島から出られるはずだった。
問題は「この島が、嘘と無益によって構成されている」と、感じて生きているかどうかなのである。
それを感じていたならば、何人かは、私のボートに乗ってくれたはずなのだ。
あるいは若い人なら、それを感じずとも、「みんながやっているから」という理由で、SNSを始めることができる。
今どきの若者達は、勝手に、次々と嘘の孤島から脱出しており、孤島の管理人達は収拾がつかなくなっている。
とはいえ、嘘の孤島からの脱出は、真の人生という海原へ飛び出す、ほんの入口にしか過ぎない。
目の前には、空と海だけが、360度広がっている。 若者達も、どこへ進んだらいいのか分からないのだ。
SNSをやっている人であっても、スマホの画面を見れども見れども、一向に前に進んでいる感じがしない。という人もいる。
情報という海の上を、ひたすら漂っている。
人によっては、海に転落し、ボートに這い上がれなくなってしまった人もいる。
私は、そんな彼らに、手を差し伸べたい。
確かに、どこに向かって進んだらいいか、正確に示すことはできないかもしれない。
しかし、伊達にこの50年、本ばかり読んで生きてきた訳ではない。私も少しくらいは、彼らのお役に立つことはできると思う。
生きる目的が、
少しずつ、はっきりと、
見えてきた。
(第4話へ続く)