今日も平和だ。
私が働いているお店は、決して繁盛店という訳でもないが、閑古鳥が鳴いているという日も滅多にない。
いつも客入りはそこそこで、ゆるやかにお客さんが来てくれ、ゆるやかにお客さんは帰っていかれる。
従業員も穏やかな人が多く、来てくれるお客さんの層も穏やかな人が多い。
なにかトラブルがあった、平和じゃなかった、という日は、ほとんど記憶に無い。
ただ淡々と、同じように、今日という1日の営業が終わる。
昨夜、私は「戦争」の映画を見た。
ほんの数十年前まで、
この日本でも、人々が、命のやりとりをしていた。
多くの人の暮らしがあった町々が、一夜にして、亡骸と瓦礫の山となった。
あの惨憺たる映像を見て、とても考えさせられた。
そういう日々に比べたら、
この何でもない、そば屋の日常の風景も、天国のように見えるはずだと思った。
実際に私も、昨日見た映画の影響から、今日という1日が特別のことのように思えた。
窓から差し込む陽の光、いつも来てくれる常連の方々
厨房には、今日も豊かに備わっている食材の数々、自然の恵み。食べられる有難み…
滞りなく開店の準備が整い、暖簾はかけられ、なにかに怯え・脅かされることなく、安心して食事ができる空間が保たれ続け、やがて陽は沈み、そしてお店の灯は、人知れず静かに落ちる。
ただしそれは、私個人が見えている範囲の話であって、
世界全体で見た時には、決してそうではない。
世界中のほとんどの人は、平和を願っている。しかしこの世の金持ち達は、何故か平和を願っていない。
何故彼らは平和を願わないのか? 彼らも平和を願えば、この世界には平和が訪れるのに。
何故、貧困国の人達が飢え続けなければいけないのか?単純な話、金持ち達が富を独占し過ぎているからである。
世界の1%の富裕層が、世界全体の資産の約4割を握っていると言う。
世界には元々、世界中の人々が飢えたり、不足することなく生きていけるだけの自然や食料が、豊富にあるのだ。
しかもそれだけにとどまらず、
彼らは幾多もの戦争を引き起こし、多くの一般庶民の命を巻き添えにしてきた。
一般庶民は、誰も戦争なんか望んじゃいない。
平和主義が世界中に広まってからの数十年間が、そのことを証明している。
誰もがみんな、平和に暮らすことを、願っている。
しかし、この世界にようやく訪れた平和が、再び、脅かされようとしている。
江戸時代の時もそうだった。
せっかく訪れた平和を、破壊しようとする存在がある。
過去は変えられないが、「今」は変えられる。
江戸時代には平和が、約260年続いた。
今のこの時代は、平和と呼べる世界が訪れ、70年余り。
今ここで平和を失う未来もあれば、江戸時代のように260年続く平和な未来もあり、1000年平和が続く未来もある。
そんな未来は無い と、誰が言い切れよう。
それは、今を生きる私達次第だ。
ニーチェは言った。
「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える」
この世界が「真の平和」を取り戻したら、どれだけ私達は幸福に生きられるだろう。
今というこの時代は、世の中が傾いているから、生きる希望を失っている人が多い という話も聞くが、
物事は何事も、考え方1つだ。
私は、逆であると言おう。
今という時代がこのような状況であるからこそ、
真の平和を取り戻そうという生き方
それ自体が、希望そのものであり、私達の生きる意味でもあるのだ と。
そう考えれば、暗闇も光に変わるというものである。
(第9話へ続く)