ふいに、涙がこぼれ落ちた。
あの日の記憶が、今も私を苦しめる。
朝、目を覚ますと、君はもう そこにいなかった。
身をよじらせ、スイートルームのベッドから起き上がると、テーブルの上には置手紙があった。
窓の外には、快晴の空と、美しい陽の光と、宝石のようにきらめくオーシャンビューが、
虚しく広がっていた。
再就職活動が難航していたが、この日は結婚記念日ということで、高級レストランを予約し、その後はスイートルームで夜を過ごした。
その夜、私はベッドで、夜の街で知り合った女性にいつも通りしていたように、妻にもしてしまった。
妻はその異変に気付いていたことを、私もことが終わってから気付いた。
冷静に振り返ってみると、「妻はずっと前から、私の異変に気付いていたかもしれない」と思う心当たりが、いくつもあった。
翌朝を迎えるのが怖かった。
そして朝を迎え、全てを理解した。審判が下されたのだと思った。
置手紙を見ると、字が水滴で何箇所も滲んでいた。
きっと妻は、泣きながら、この手紙を書いたのだ。
そのことを知った時、
手紙に涙が重なった。
妻を大きく傷つけてしまったことに、今更気がついた。
職を失ってから、我を失っていた。 その我を、取り戻したような感覚だった。
「大きな過ちを犯してしまった」と思い、心からやり直したいと願ったが、それはもう叶わぬ夢だった。
後日、連絡がついた妻と話し合ったが、「これまでと同じような気持ちで接することはできないと思う」と言われ、郵送で送られてきた離婚届に、私は捺印した。
再就職活動が上手くいかなかったことが、全ての始まりだった。
高学歴で、大手企業の元社員だから、
引く手数多で、すぐに良い就職先が見つかると思っていたが、
現実は厳しかった。
まず時代そのものが変わり、派遣社員という雇用形態が主流になっていたこと。
さらに私が働いていた業種の性質上、そのスキルが他の企業には大して活かされるものではなかったことに加え、
そしてこの時、40という年齢だ。
私の望む条件と収入に見合う企業に面接をしても、全てが不採用に終わった。
「こうならない為に、青春時代を勉強に捧げて、良い大学に入ったのではなかったのか…!」と、心底思った。
怒りや、嘆きや、憎悪の感情も、沸き上がってきた。
それだけならまだしも、会社で覚えた仕事、身に付けてきた能力さえ、何の役にも立たないというのだ。
「私は、この20数年間、全く役に立たないことだけをやってきた。」
この現実を受け入れることが、どうしても許せなかった。
だから私は、自分の中にある条件や収入を下げることを拒んだ。
しかし、面接をする度に、不採用という結果を突きつけられる。
その度に私は、自分の人生を全否定されているようだった。
自暴自棄になっていた私は、あの失ったものを取り戻そうとするかのように、
"夜の街" に通うようになった。
サラリーマン時代は、二次会等でそういった場所へ誘われても、律儀に断っていた。
ギャンブルなどもやらず、勤勉に生きていた。
しかし、あの衝動的な過ちによって、私は最愛の妻を失った。
何故私はあんなことをしてしまったんだろう… 悔やんでも、悔やみきれない。
後悔先に立たず、覆水盆に返らず
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
石川啄木の短歌を思い出した。
啄木は、砂浜で、「蟹」とたわむれたと言う。
大の大人が、「大きな砂浜で 泣きぬれて 蟹とたわむれる」とは、よっぽどの悲しみだったに違いない。
私もまさに、この短歌のような心境だった。
私の全てとも言える「手に入れた高収入の仕事」「最愛の妻」を、両方失った。
人生が、どうでもよくなった。
それからの10年間、私は生きているようで、生きていなかったように思う。
この大きな過ちを犯して、唯一、この出来事にも意味があったと思うことは、
今こうして、SNSで… 自らの失敗談を綴り、「私のようになってはいけない」と、反面教師として不特定多数の人に伝えられることである。
なにか、自暴自棄のようになることがあっても、冷静になってほしい、立ち止まってほしい。
後悔は先に立たない。
なにか答えがあるかもしれない。
あなた自身が、思いもよらなかった答えを、誰かが持っている ということは、大いにある。
誰もが、正しい選択をして生きられるようにと願って、この投稿を終えたいと思います。
何回にも分けて、ツリーになるように、この投稿をポストした。
そしてそれが、思いの外
「バズった」
SNSの通知が鳴りやまない。
いいね・リポストと共に、様々なコメントも寄せられた。
「辛い思い出について、勇気をもって投稿してくれてありがとうございます」
「私も似たようなことをしてしまい、相手の人を傷つけてしまいました。この投稿が多くの人に届きますように!」
「不倫はバレても地獄、バレなくても地獄やで」「今の教育システムって何なんだろうな…」「悪い選択をしたら、後悔を生むってことですね」
良かった。人それぞれ、思い思いの形で、私が発信したことが届いている。
しかしその一方で、
「クズが、最低だな」「奥さんが可哀想」「学歴コンプが作った偽ストーリーでインプレッション稼ぎですか?」「あなたの元妻です。あの時に受けた精神的苦痛について慰謝料を請求します。連絡先は~」
悪口、批判、誹謗中傷、フィッシング詐欺…
否定的なコメントもたくさん届いた。
真っ当な批判意見に関しては、返す言葉もない。傷付きはするが、それは自分が行った通りであるのだから。
でも、投稿して良かったと思った。
これによって、少しでも世の中が良くなってくれればいいのだから…
(第7話へ続く)