私はここ数年の間で「パンとサーカス」という言葉を知り、その言葉の意味を知りました。
「パンとサーカス」とは、
詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現。
権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によってローマ市民が満足して政治的無関心になっていることを指摘した。
パンとサーカス Wikipedia
とのことで、まさにこの日本においても、これと同じ状況であることに驚きました。
本来であれば、とっくに「百姓一揆」が起きて、いつ転覆してもおかしくないような政治が行われているように思います。
しかしどういう訳か、日本は海外と違ってデモ活動さえも少なく、ましてや百姓一揆が起こる気配すらありません。
なんでこういう現象になるのだろう?と、よくよく考えてみたら不思議なことでありますが、
その大きな理由の1つとなっているのが「パンとサーカス」という政治的手法にあり、私達国民は、このパンとサーカスによって操られていたのです。
コロナ禍以前は、多くの人が楽しそうに生きていたように思います。
日本経済はどんどん傾いている中でも、街を歩けば、楽しそうな会話や人々の笑顔が、至る所に溢れていました。
しかし、もう1つの側面から見たら、政治的なことや、支配者層らが企んでいること、この世の中の真実に対して、無関心にさせられていたのです。
そしてそれが顕在化したのが「コロナパンデミック」でした。
陰謀論と言われていたことは、陰謀論ではありませんでしたし、
言うならば、確かな「現実」を見せられた訳です。
そして現在、
世の中は、各種大増税や食料品の値上がりによって経済的に非常に厳しくなり、外食を控えたり、「食」を見直されている方がかなり増えています。
さらには、昭和から平成の終わりにかけて、飛ぶ鳥を落とす勢いで進歩を遂げていった、あらゆるジャンルの「娯楽」も、
今では多くのジャンルが頭打ちとなっており、マンネリ化は隠し切れず、なにか娯楽に楽しみを見い出すことも少なくなっていきました。
つまりこれは「パンとサーカス」が、奪われているような状態です。
「パンとサーカス」が無くなれば、この世の中と向き合わざるを得ません。
中国による侵略、各種大増税と、かつてない程のバラマキによって、日本は着実に崩壊へと向かっています。
さらに追い打ちをかけるかのように、「移民政策」「マイナンバーカード導入」「LGBT法案推進」等々、日本が悪くなって行くしかないことが、次々と推し進められている状況です。
にもかかわらず、未だに多くの方は、いつもと変わらぬ日常を送られているようです。
しかし中には、今の日本の状況に危機感を抱き、現実と向き合い、「考え」「調べ」「行動」されている方もいらっしゃると思い、
そういう方にとっては、今の日本の状況は「目覚め」のきっかけとなり、表面的に見たら苦しいだけの世の中において、そこから「希望」を見い出すことに繋がるはずです。
どうか多くの方がこの日本の状況に危機感を抱き、それによって「真実」に目が向かい、人々の運命も、日本の運命も好転していきますことを心よりお祈りいたします。
RAPT有料記事750(2023年6月10日)2023年から神様が下される裁きは、人が神様に裁かれていると気付いて認め、悔い改めるまで続く。