人間は「やる」人と、「やらない」人に、分かれます。
「やれば」やったなりの、気付きや学びや悟りがあり、成長があり、やったことが形に残り、結果が残りますが、
「やらない」なら、何もない。文字通り。
気付きや学びや悟りもなく、成長もなく、やってないから何も形に残っていない、結果というものが、ない。
どれくらいやれるかというのは、人によってその力量は違うでしょう。
しかし、「やる」こと自体は、誰にでも出来ることであります。
あとはただ、自分の意志によって、行動が左右されるのみです。
もしもイチロー選手が、野球をやらなかったら、
当然のことながら、野球が上手くなるはずもなく、上手くならないからプロ野球選手になれるはずもなく、ましてや本場メジャーリーグで大活躍することなんて有り得ませんでした。
イチロー選手が、イチロー選手になったのは、
野球を「やった」からです。
しかしながら、「やらない人」というのは、ここを履き違えている節がある。
イチロー選手は、まるで最初からイチロー選手であり、
彼とて野球をやらなければ、上手くなるなんてことは決してあり得なく、
まず彼が野球をやるという選択をしたこと、「着手した」ことが第一歩目として有り、
その上で彼が膨大な練習を通して、どれだけ多くの気付きや学びや悟りがあって、その果てに一流の「技術」を獲得し、身体もそのように反応できるようになった。そしてそれこそがイチローをイチローたらしめているのだ ということを、あまりよくイメージできていないのです。
確かに野球は一見すると、「バットを ブンっ て振るだけ」「ボールを投げるだけ」
自分にも出来そうなことであるように思い、実際に誰でも出来る動作を行っているに過ぎません。
しかしその裏には、練習したから上手くなった の一言では済まないほどの、膨大な「技術」が詰まっていて、一流と素人の間には果てしないほどの差があるのだということを、「やった人ほど」理解しているのです。
例えば私はここ数年、情報発信の為にTwitter(X)やブログを通して、毎日のように文章を書き続けてきましたが、
「『は』や『が』など、それぞれの接続詞が持つ、ニュアンスや伝わり方の違い」
「こういう文章は読みやすいと感じる、こういう説明だと分かりやすいと感じる、こういう説明は力強いと感じる」
このようなことは、実際に自分で文章を書いてみないことには分からないことであり、書き続けていくことで、小さな気付きや学びや悟りが積み重なって、やがて確かな「文章力」「技術」となっていく。
「書きもしないのに、こういった細かな全てのことが、魔法のように突然分かるようになるなんてことは、決して有り得ない」 ということを、私は分かっています。
しかし、やらない人からしてみたら、
あの人は元々文章の才能や能力があったんだろうなとか、あるいは、ある日突然魔法のように文章が上手く書けるようになるとか、
いつだって「やらない理由」を探し、諦めるか、ある日突然出来るようになる夢だけを見ている そういう状態にあるように思います。
野球もやらないで、いきなりイチローみたいなプレーができますでしょうか?
文章も書かないで、いきなり村上春樹みたいな文章がスラスラ書けますでしょうか?
赤ちゃんが生まれた瞬間から、スタスタ歩きますでしょうか?
無自覚とは言え本能で歩けるように頑張ったからこそ、歩けるようになったはずではないでしょうか。 文字のよみかき、おえかき、計算、自転車に乗る練習… 今の自分が色々と出来るのは、子どもの頃にそれを「やった」からではないでしょうか。
やらなかったら、決して上達はしない。出来るようにはならない。
もしも、"プロ野球選手になること" が目標であるならば、
「やらないイチロー」よりも、「やるのび太」の方が、まだ可能性がある訳です。
「やる」以上は、成長する。教えることが出来る。導ける。 優秀なコーチなら、のび太をその気にさせてどこまでも上手く教えたら、プロ野球選手になることなら可能かもしれません。
しかし「やらない」のなら、どんなに類まれな才能を持っていたとしても、それが開花することは無く、どんなに優秀なコーチをつけたとしても、教えようがない。導きようがない。上手くなりようがない。だからお手上げなのです。 0に100をかけてあげたとしても、0は「0」のままであるように。
もしもこの世界を創造された "神様" なら、人間にいきなりとてつもない能力を与えることは、可能でしょう。
しかしながら、そうやって努力しているたくさんの人達を差し置いて、なにもやっていない人間に、彼らよりも優れた能力をいきなり与えるなんて、そんな不公平なことをしますでしょうか?
きっとそんなことはしないように思いますし、少なくとも私はそんな人を1人も見たことはありません。
なので結局のところ、やらないことには、何も始まらない。
やらなければ、出来るようになるなんてことはないのです。
私も元々「やらない・出来ない」側の人間でした。なので、やらない人の気持ちもよく分かります。
「人は変われる」 出来ないというのは単なる思い込み 重度のやらない・出来ないだった私が、出来るようになるまでの証
ですが、強制的にやらざるを得ない環境に身を置いたことがきっかけで、今ではやる人へと変わることができました。
「やる人」なのか「やらない人」なのかは、なにも最初から決まっているのではなく、途中から「やる人」へと変わることができるのです!
そして、「やった方が」「出来るようになった方が」 人生は充実する・幸福に生きられる
これは誰しも、心の中では、本当は分かっているはずのことです。
なのでどうか全ての人が、やらないまま "無" で終わるのではなく、「自分は出来ない」という思い込み・固定観念を取っ払い、「やる人」となって、一度きりの人生を後悔することなく生きられますよう心よりお祈りいたします。
RAPT有料記事391(2019年7月22日)人間の一生はあっという間に過ぎ去るから、常に価値ある人生を生きて、たった一度の人生を無駄にしないようにしなさい。