私の人生の歩む道は、性と出会った時に、決まったようなものでした。私は言うならば、私の性癖を達成したい。これが私の夢であり、私の全てでした。
それが叶ったあとは、世の中にとって何か良いことでもしながら、ブログでそれなりのお金を稼げるようになって、悠々自適に過ごせたらいいのでは。そんなことを思っていました。
その達成の為には、絶対的に皮膚病が治ることと、自由に活動できるだけの十分なお金。この2つが必要でした。
しかし私は、何年経っても、そのどちらも得られませんでした。
私がやりたかったことは、「若さ」も重要でした。
だから私は、誕生日を迎える度に「今年こそは」と思っていたのですが、何年経っても報われず、焦りを迎える年齢ではありましたが、その点に関しては、奇跡的にも、実年齢より若く見える見た目を保てていた為、まだ希望は持てていました。
もちろん死活問題の皮膚病を治す為に、相当な研究をしました。
皮膚病になってしまう原因を探るため、毎日のように、食べたもの・着た服・行ったこと、等を事細かに逐一メモして、どういう時に、悪くなったり、あるいは調子が良くなったりしているのか?原因を突きとめようとしたものです。
ところが、皮膚病が良かった時と、同じ環境にしているはずなのに、悪くなったりするので、本当に訳が分かりませんでした。
皮膚病が根治する気配が無いのなら、せめて金銭面で充実していれば、まだいいのですが、
何もかもが上手く行かずに、お金まで無くなってくると、本当に先が見えずに落ち込んだりもしました。
そんな状態のある日、こんなことを思った時がありました。
「どうせ何も報われない人生なら、せめて気高く生きて、その誇りを胸に抱いて死のう」
「報われないとするならば、もう誰よりも誠実に生きられたら、それでいいんじゃないか?」それで、自分はこう生きたんだ。と、その誇りを抱いて胸を張って死に、その死後の世界を見ようではないか
その時の自分は、自分の目に映っている範囲の世界を見て、自分より誠実に生きている人なんてそういないのではないか と、思っていたようなところがありました。(その後に、世界は広かった、井の中の蛙だったと知ることになるのですが)
しかしこの時に「何も報われないのなら、せめて気高く生きよう」という考えを得たことは、後の信仰生活において、本当に大きな心の支えとなりました。