私の人生は何でこんなに全く前に進まないんだと、悪い面ばかりに目が向いていたところがありましたが、
よくよく考えてみると、「肝心なところでは裏切られていないよな」「最低限の部分は守られている」ということに気が付きました。
私は自営業の方で車の運転が必要となり、ペーパードライバーながらもレンタカーで車を借り、年間を通してかなりの距離を運転していて、それが何年も続いていました。
元々運転に興味がなく、運転は下手でした。その上お金も無かったので「事故は起こせない」という意識は強く、自分なりに事故を起こさないためのチェックシートのようなものを作り、マインドセットしてから運転しているほどでした。
その甲斐もあってか、小さなトラブルこそ何度かありましたが、大きな事故というのはここまで無縁でした。
しかし、1度くらいそういう大きな事故に遭っていても、おかしくはなかったんだよなと、この数年を振り返ってみて、改めてそう思いました。
「今の状態で、これ起きたらアウトだよね」という領域に関しては、守られているような
そういう不思議なことは、お金の面でも、何度も経験がありました。
例えば競馬で、自己最高額の高配当が的中し、有頂天になっていたことがあったのですが、しかし半年後、「おいおい、半年前にこの的中無かったら今頃お金がヤバかったんじゃないか」ということがあって、それはまるで、今こうなるからこそ、半年前にその的中があったのだ、と思うような出来事であり、
競馬の的中というもの不思議なもので、後になって振り返ってみると、なにかこう「必要な分だけ計算されて与えられている」ような感覚はあったのです。
自営業の毎月の支払いも、口座の残高が、数十円、数百円という、ギリギリもギリギリという月も何度もあり、まるで謀ったような金額の推移というのも、何度も体験していて、
なにか不思議な力が働いているのではないか。という感覚があったのでした。
善い行いを心掛けても、それが自分に返ってきている実感というものがあまり無かったのですが、
今にして思えば、私が行っていた善行というのは、こういうところにも出ていたのかもしれません。