2019年の自分は最悪でした。
2018年というのはどういう訳か、私の皮膚病が劇的に良くなった年で、希望を持っていました。「ついに自分のやりたいことができるかも…」
ところが、18年と同じ環境にしているはずなのに、何故か悪くなっていく湿疹…
自営業も年々状況が厳しくなっていて、どんどん売り上げが下がっている。競馬もこんなに不調だった事は今まで無かったというくらいに不調でした。
本当にお金もありませんでした。
そして、年齢的にも、いつまで今の若さを保てていられる保障はない。1年でも早く、動きたかった…
そんな中、競馬で千載一遇のチャンスが巡ってきました。
「WIN5」と呼ばれる5レースの1着馬を当てる、当てるのは難しいけど当たったらもの凄い高配当が期待できる購入方法で、それが4レース目まで的中し、あと1レース当たれば的中であり、しかも5レース目は結構自信があり、当たる期待値は高かったのです。
しかもその日は自分の誕生日でした。だからこれはきっと当たって救われると思いました。
ところが、盤石と思われたレースで、全くノーマークの穴馬があっさり勝ってしまい、私には絶望だけが残りました。
私は毎年の誕生日で「この1年こそは」という思いで、新しい年齢を迎えていましたが、今年はもうそんな気にはなれませんでした。
湿疹は悪くなる、お金もない。というか毎月の自営業の支払いさえ厳しい状態だったので、自分の夢どころか、生活すらできないんじゃないか?と思いました。
私は過去にもWIN5で、4レース目まで行き、もし当たったら約2,000万円というとんでもない高配当に、リーチを掛けた時がありました。
5レース目で私が指名していた4頭の内の、しかも7番人気の馬があわや勝ったかという勢いで上がってきたのですが、わずかに届かず2着となり、寸前のところで手をすり抜けていきました。
という外し方を筆頭に、これまで私は、幾度となく、わずかな差に泣いて大的中を逃してきました。
「何者かが私の人生を操作している」という可能性は、うっすらと思っていました。だけど、いつかどこかで報われるはずだ。そう信じてやってきた。
だけど、今年の誕生日に、はっきりと確信したのです。
「その何者かは、私の人生を弄んでいるだけだった」と。
私はついにぶち切れました。これまでの全てに。
大声を出せる車の中で、見ているかもしれない存在に向かって、私は全ての怒りをぶつけました。これ以上は切れられないというくらいに。
思えば駐車場の中だったので、周りに普通に聞こえてしまっていたように思いましたが、しかしそんなことは、もうどうでも良かったのです。
あれだけ大声を出した後だったから、気持ち的には、ある意味すっきりしていました。
しかし現実問題、このままだと生活ができないかも。というのがありました。
これから自分は何に希望を持ち、どう生きていったらいいのか分からなくなり、本気で「死」を考え始めました。
その時、この言葉が思い浮かびました。
「死の瞬間、僕は自分に問うだろう。すべてをやり切ったか?と」(YOSHIKI)
以前はこの言葉を、皮膚病がどうしても治らない時、原因が分からない時、「まだ試していないことは無いか?本当に全部試したと胸を張って言えるくらいやってから、初めて諦めろ」と、自分に言い聞かせる時に思い出していました。
しかし、今の自分は違いました。本当に死と向き合い「すべてやったか?」と、自分に問いました。
「まだ1つだけ、やっていないことがある」と思いました。それは、「神様に助けを求める」というものでした。
薄暗い曇り空の日でした。薄暗い部屋の天井を見つめながら、「神様、私を助けてください」と祈り求めました。
(次回へ続く)