この地球は「人間」という生命が生きていく上において、必要なもの、便利なもので溢れており、
昼と夜を照らす太陽と月、適切な気温、豊かな自然、あらゆるものに加工できる様々な物質があり、水や火があって、完璧な循環システムもあり、
人間以外の様々な動植物が存在し、食糧も豊富にあり、それは約80億人の人間が生きていけるほどです。
社会があって、様々なインフラが整備され、住居があって、衣服があって、仕事があって、家族があり、様々な人間関係もある。多種多様な文化芸術を楽しむことができ、娯楽もあり、癒しの空間もある。
人間にとってまさに、至れり尽くせり。「まるで楽園のような世界である」という見方も出来るように思います。
それなのにどうして、人間はこの世界を楽園のように思って生きていないのか?それどころか、誰も彼もが苦しそうに生きているのか?
不思議に思いませんでしょうか?
その答えは非常にシンプルで、
「人類がこの世界の創造主(神)が望むような生を、生きていないから」です。
自分が、この世界の創造主になったと仮定してみた時に、それが良く分かります。
創造主は、この世界に、人間に、これだけ多くのものを与え続けている。
だけど、誰も彼もがこの世界を創造した存在に気付かず、無視し、感謝せず、讃えもせず、それどころか高ぶり、足蹴にし、悪いことばかり行って、創造主が望まないような生を生き続ける。支配者層に至っては創造主に意図的に反逆して生きているほどです。
しかし、この世界の創造主(神)は、それでも私達人間を憐れみ、全てのものを与え続けてくれている。数千年というこれだけもの長い間。
これは人間には考えられないほどの、愛の大きさです。
では、この世界の創造主が望むような生き方とは、どんな生き方なのでしょうか?
こちらも自分が創造主になったと仮定してみると分かりやすいのですが、
まずは、創造主の存在に「気付くこと」です。
誰も彼もが「この世界に神はいない」と洗脳されて生きている中において、1人でも「この世界に神様はいるのかもしれない」と思って空を見上げようものなら、
創造主は、「見よ、また1人わたしの存在に気付いた人間が現れたぞ」と思い、心から歓喜し、天では祝宴を開き、その人間にどこまでも着目し、この人を救いたいと思い、導かれるのではないでしょうか。
ただ「気付いた」というだけでもそうであるならば、
創造主の存在を「信じ」、創造主を「呼び求め」、創造主に「頼る」人は、
創造主から尚更喜ばれることは、想像に難くありません。
例えば、大勢の「犬」がいて、
そのほとんどの犬が、人間に関心を払わず、自分の好き勝手に生きているという中において、
1匹の犬が、人間に近づき、人間になついて来ようものなら、人間はどれほど嬉しく思うでしょうか?
その犬のことが愛おしくてたまらなくなり、その犬を大事に抱えて自分の家に住まわせ、人間にとって望ましい犬となるよう教育し、その犬とどこまでも愛を成して生活するのではないでしょうか?
神様と人間の関係もこれと全く同じなのだと、RAPTブログ有料記事の中で、教えられています。
RAPT有料記事421(2019年11月16日)何を求めるよりも先ず第一に、主に喜ばれる人間になれるように祈り求めなさい。そうすれば、全てのものが豊かに与えられるだろう。
この世界を創造された神様も、人間と愛を成したいと願っていらっしゃる訳ですが、
人間と犬の関係と同じように、まずは人間の側が神様の存在に気付き、近づいて来ないことには、何も始まらない訳なのです。
RAPT有料記事250(2018年2月12日)主が天地万物を創造した目的はただ一つ。私たち人間と愛を成すためだ。
この例えで言うなら、人間に関心を払わず、近づかない犬は、「野良犬」の生を生きるほかなく、
確かに生きてはいけるものの、雨風に打たれ、生きていれば争いだらけ、問題だらけ。 命を繋ぐエサにありつけることがやっとで、自分の生きたいように生きることは非常に難しい、幸福を感じることも少ない。だから生きていて苦しい。
まさに人類は、これと同じような状況なのです。
犬にとって、最も幸福な犬生を生きられる答えは、「犬よりも高次元の存在を求めて頼ること」であるように、
私達人間にとっても、最も幸福な人生を生きられる答えは、「人間よりも高次元の存在を求めて頼ること」だったのです。
創造主の存在は目に見えなくとも、創造主の存在に気付くことが出来るくらいの知能は、創造主から与えられている。
ただ悪なる支配者層らが、悪魔の言いなりになって、やれ「進化論だ」「この世界はビッグバンによってたまたま出来ただ」「神なんていないだ」などと徹底的に洗脳してきたからこそ、気付くことが非常に難しい というだけの話なのです。
しかしこの時代になってようやく、進化論もビッグバンも懐疑的に思う人が増え、そうであるならば「創造論」の信憑性が増すことになり、やっぱりこの世界に神様はいるんじゃないか と考えられる下地が、出来つつあります。
また、「どうしてこんなに苦しいんだろう」と考えるのも、人間が創造主の存在を求めるようにする為であり、
それは世界が、創造主が、私達人間を、引き寄せてくれているのです。
どうか世界中の人が創造主に立ち返り、人間に愛されて生きる幸福な犬達のように、私達人間も創造主が望むような生を生き、誰もが幸福を手にして生きられますことを心よりお祈りいたします。
RAPT有料記事964(2025年10月4日)日本人が福音を受け入れる霊的土台はもう既に作られたと主は仰った。一人一人が使命意識を持って、彼らに福音という幸運を伝えてあげなさい。
全ての人間は、生まれてから死を迎えるまで、この世界という中の住人である。ならば人間は「世界」が望んでいる生き方をするべきだ