私はこれまでの自分の人生を振り返ってみて、
自分が「できる人」か「できない人」かで言えば、
「できない人」であったと思います。
それも、下から数えた方が圧倒的に早いであろう と思うほどに。
もちろん自分にも、一部得意なことや好きなことというものがあり、その面に関しては、他の人よりもできているところはあったと思いますが、
平均して、何にもできない。
特に社会人になってから、自分がいかに何もできない人間なのか ということを、痛感しました。
「一般常識をあまり知らない」「社会の仕組みがよく分からない」「お店や各施設における、様々な利用の方法がよく分からない」「政治経済もよく分からない」「人とのコミュニケーションがうまく取れない」「仕事ができない」「朝に弱くたまに寝坊してしまう」「掃除洗濯料理の類ができない」
もはや社会不適合者というレベルで何もできず、「無能の極み」のような状態でした。
周りからは(あいつちょっとヤベー奴だよ…)そんな風に思われていたことが、今の自分にはよく分かります。
そんな自分が社会人としてまともに生きて行く為には、色々と覚えざるを得ない。「やらざるを得ない」
これによって何年か後には、ようやく、ある程度まともな社会人にまで成長することができました。
今にして思えば、この「やらざるを得ない」という状況に身を置いたのが、本当に良かったのだと思いました。
「やらない・出来ない」という人間だった自分が、強制的に「やった」ことにより、少しずつ「出来る」ようになっていった、
これによって、「人は変われるんだ!」ということを、身をもって学ぶことが出来ました。
そして、そういった数々の成長体験の中でも、最も大きかったのは、「車の運転」でした。
無能の極みだった私は、自分では何も出来ない・何もやらない。
車の運転さえも、誰かが運転してくれて、自分は横か後ろに乗っているのが当たり前。 そんな状態でした。
しかし人間とは分からないもので、必要に迫られてやってみると、案外出来るようになるものなのです。
必要に迫られ、1ミリも興味がなかった「車の運転」を行うようになり、今では全国各地を回り、運転が好きになるほどに成長できた
「車線変更ができない・バックで車がどう動くのか中々理解できず駐車できない・会話しながら運転してたら前に追突しそうになった… そんな運転センスの欠片も無かったこの自分が、今では上手に運転出来るようになった! なら、他のことも同じように、『やれば』出来るようになるはずじゃん!」
これによって私は「出来ない」と思うことが、無くなりました。
私がどれほどのレベルで出来ない人間だったのかは、この文章を読んでもらえば、分かる人には分かると思います。
「あぁ、この人は『本当に』出来ない人間だったんだな…」と。
しかし、このレベルだった私でも、変われるものなのです。
なので、自分は出来ない側の人間なのだ と思っている方がいらっしゃいましたら、
どうかその考えを、変えてみて欲しいと思います。
「やって」、変わろうという意志があって、その後も継続して「やり続ける」なら、人は誰しも出来るようになって行く。
何故なら、人間はちゃんとそのように、造られているからです。
「いやそれでも、『自分は特別に出来ない人間』だから出来ない」「確かにあの人は元々ダメ人間だったけど、『変われるタイプの人』だったんだ。自分は変われない」 等という思考に退避し、頑なにやることを拒むこともできるでしょう。
しかし、果たしてそれは "真理" でしょうか? 「人は誰しも、『やれば』ちゃんと出来るように造られている」これが、真理ではないでしょうか。
てっとり早いのは、「社会人としてまともに生きていく為には、あれもこれもやらざるを得ない」みたいな、退路が無く、強制的にやらざるを得ない状況に身を置くのが、1番だと思います。
ライオンの子も、崖から突き落とされて、崖の上に登ってきた頃には、いつの間にか一人前のライオンへと成長しているように…
どうか全ての人が、「自分は出来ない」という思い込みを無くし、
「人は変われるものなのだ」ということを知り、人生を発展させていって欲しいと心から願います。
RAPT有料記事602(2021年11月1日)変化せず成長しない人は、希望のない空しい生を生きるしかない。しかし、常に変化し成長する人は、喜びと希望に満たされ、真の成功と繁栄の道を行くことができる。
神様を信じ、大の苦手だった「政治経済」が理解できるようになり、さらには他の人が発信していない部分まで気づき、自ら発信出来るようになった