前回記事より、
[2020年6月頃] 私の人生の全てとも言える「LGBT」の罪を捨てた時のお話
LGBTの罪を捨てられたことにより、晴れてこちらの動画の方でも、自分に後ろめたさが無い状態で、LGBTについて言及することができました。
#11 上級国民達の行動原理① 彼らは全て「聖書」の教えと真逆のことをしているだけでした
それから程なくして、「もしかして、こういったことも捨てなければいけないのだろうか?」と思い、罪について調べ、その他に残っていた罪も、次々と捨てて行きました。
正直、自分の中にあった最大の罪を捨てた状態であったので、他の罪を捨てることは、そこまでの苦とは感じませんでした。
「あれだけの罪を捨てたのだから、この罪を捨てるくらいは大したことがない」という勢いがあったのも、罪を捨てられる手助けとなりました。
この中では特に自慰行為が、1番捨てにくかったですが、
御言葉(朝の祈り会)を聞き進め、「本当に神様が私の人生を見ているんだよな」と思えた時に、やめるべきだろうか?と思いました。
もう一生分やったのだから、この先できなくったっていいじゃないかと思い、思い立ったが吉日ということで、それを思った日に捨てられました。
これは私が、過去にタバコをやめた経験があったというのも大きかったです。
物理的にも中毒性が高く、精神的にも依存していた、「タバコをやめたことに比べたらきつくない」と思えました。
「お酒」は元々、週に1度くらいしか飲んでいなく、物理的な依存は無かったので、比較的やめやすい状態であり、
「ギャンブル」の方も、ここまで来ると「ギャンブルだけはやりたい」みたいな意欲もなく、連鎖的にやめられたような感じでした。
あとは私はブログを書くのが好きで、当時7個くらいブログを運営し、アフィリエイトも少し生活の足しとなっていました。
その中の2つがアダルト系ブログであり、「信仰者がアダルト系のブログを持っているのはよろしくないよな」と思い、このブログは相当な手間暇と時間を投資し、1つはそれなりのPVと収入もあったので、かなり惜しみましたが、こちらも2つ共捨てました。
1つ1つを単体で見ると、よくこれを捨てられたなと自分でも思うようなことを、全て捨てていくことができました。それもやはり、自分の中で最も捨てることが有り得ない「LGBT」の罪を捨てられたことが、本当に大きかったのだと思いました。
人間には「慣れ」というものがあり、やめる時は1番きついけど、やめた後は、やめた自分が徐々に当たり前となっていく。
今では、この時の自分が、何か遠い過去のように思えていて、「あぁ、あの時全部捨てられて、本当に良かった」と、心から思えています!
「これは持っていたらまずいのかな」と思うようなことを捨てると、後ろめたさや、罪悪感のようなものから解放され、本当に心は楽になっていったのでした。