あぁ、時は無情…
人生とはなんぞや…
先日、50歳の誕生日を迎え、「残された命の折り返し地点を過ぎたのだ」と知ったことを機に、
私は「人生」について、色々と考えるようになった。
私もいつかは死ぬ時がくる
人はどうして生まれ、そして何故死ななければいけないのか
人間とはなにか?
そもそもこの世界とは一体何なのだろうか?
私はこの先どう生き、どう死を迎えようか…
今日も今日とて、そばを茹でながら、時々このようなことが脳裏をよぎる。
現在私は、とあるチェーン店のそば屋の厨房で働いている。
両親は既に他界し、実家で1人で暮らしている為に家賃はかからず、少ない給料でも十分に食べていけている。そして、周りの従業員たちも、同じような年代の人が多く、基本的に淡々とそばを茹でることがメインの仕事なので、居心地は悪くない。
ただ、厨房の一番奥から、従業員の姿を見ていて、心にずっと思っていたことがある。
変わらない会話と、変わらない風景と、変わらない日々…
業務に関すること以外で、話題に上ることと言えば、
「テレビや新聞で見たニュースや番組について」「スポーツについて」「食べ物について」「誰かの悪口」考えてみれば、大体がこの4パターンしかないことに気付く。
私は職場内で寡黙な人だと思われていたが、それは単に私の口数が少ないというよりは、周りの人達と話が合わなかったというのも大きい。
「そうですね」「そうなんでしょうね」とか、話を合わせていたが、それは私にとって苦しかった。でもそれが当たり前だと思って、今までやってきた。
若者の間では、テレビを見ている人の方が珍しいくらいになったが、
私の年代では、テレビを見ていない人の方が珍しい為、周りの話についていけず、どうしても孤立してしまうという構造がある。
私も若い頃は、テレビや新聞を熱心に見ていたものだが、読書も好きだった為に、政治や経済についての本もよく読んでいた。
テレビや新聞だけを見ても、政治や経済について意味が分からないことが多い。
それらについて「本当のところはどういうことなのか?」 それが知りたくて、本という世界にはその裏側を書いてくれる書物がいくつもあった為、むしろ本をたくさん読むようになった。
それと同時に、テレビや新聞が発信していることは嘘だらけであることに気付き、もしかしたら若者達よりも早く、テレビや新聞を見なくなっていたのだ。
そんな私、田中努(たなかつとむ)は、受験戦争の荒波に揉まれ、学力の方はそれなりであったが、首尾よく大手企業に就職することができ、「これで将来は安泰だ」と思っていたのも束の間、
今度は職場内での出世サバイバルレースのようなものが待ち受けており、その身も心も削られる競争に段々とついていけなくなり、次第に落ちこぼれていった。
やがて世の中には不況の波が押し寄せ、同職場でも大量リストラが実施されたことで、私も "整理" されてしまった。
再就職もなかなか決まらないという中、その時期に離婚も重なったことにより、心身共に疲れ果ててしまった私は、実家へと帰省し、しばしの安息を得た。
「とりあえず生活費の為に」と思って、始めたそば屋のアルバイトであったが、
一度心が折れた私は、ゆくゆくはどこかの企業に正社員として就職し、バリバリ働こうなんて気持ちは、とうに失っていたようで、このスローライフから抜け出せなくなり、気付けばこのアルバイトを10年近くも続けていた。
そばを茹で、休日には、読書をしたり、映画や動画をみたり、アウトドアや、旅行にいったり、週に3~4日お酒を嗜む
義務教育、受験戦争、出世競争… 私は初めて、抑圧された人生から解放され、"自由" という生き方を手に入れた。その自由を満喫して生きて来た。
振り返ってみると、確かに楽しい日々だった。けれども、なにか "生きた心地" のようなものはしなかった。そして気付いたら、私も50歳。
人生のターニングポイントを迎えたことによって、「それらの日々になにか意味のようなものがあっただろうか?」「本当の幸せとはなんだろうか?」などと考えるようになった。
私は死ぬまで、この生活を繰り返す。果たして本当に、それでいいのだろうか?と、思うようになった。
考えた末に、ここで一念発起して、「えすえぬえす」を始めてみようと思った。
そうだ、残りの人生、世の中の為に生きよう。
私が知っていることを伝えたい、生きた証を残したい。
そういう気持ちが、強く湧き出てきたのだ。
(第2話へ続く)