御言葉では「個性才能を伸ばしなさい」と、伝えられていました。
私は、個性才能と言われ、全く何も思い浮かびませんでした。
自分の罪ばかり追い求めてきた人生で、それ以外あまり何もやってこなかった為、何か1つくらいそういうものを身につけておけばよかったと、後悔しました。
個性才能と聞きますと、学問、読書、スポーツ、音楽、映像関連、ビジネス、物をつくること、絵を描くこと、機械に詳しい、自然が好き、動物が好き、料理… 等々、こういったことが思い浮かび、
さらにそこから、何というスポーツ競技のどういうポジションや役割が得意とか、音楽でも何というジャンルや何という楽器が演奏できるとか、かなり細分化されていくようなイメージがあります。
しかしこういった中で、自分には個性才能らしきものが何も思い当たらなかったのです。
御言葉の中でRAPT氏は、「私は本を読むことが好きで、1日中でも本屋で立ち読みできるし、むしろそれがしたいくらいなのです。」ということをお話しされていました。
私もそれなりに読書はしていたのですが、あくまで知りたいことを知る為の手段であり、読みたいから自然と読んでいたという感じではありませんでした。
むしろ本の内容によっては、読むこと自体が苦に感じることさえあり、読みやすい本でもそんなに長時間は読めない。本が好きな人は何故あんなにも本が読めるのだろう?と不思議に思っていたところがありました。
しかしある時、ふと、このような事を思い出しました。
「大抵の人はブログを始めても、途中でネタが尽きてしまい、長く続かない」
という情報を、ネットで見た時がありました。
その時私はこう思いました。「え、そうなの?私なんてブログを6個も7個も作っていて、このブログでこんな記事を書こうと思うんだけど時間がなくて、アイディアのストックだけが溜まっていって、書きたくても書けていないくらいなのに」と。
しかし今にして思えば、「これは誰にでも出来ることじゃなくて、自分の得意なことなんじゃないか?」と、気付きました。
「1日中でも出来るし、むしろそれをやりたいくらい」
というものが、自分にもあるじゃないか!と思いました。まさか、ブログを書けるということが、個性才能の1つなのだと、考えてもみなかったことでした。
灯台下暗しとは、まさにこの事だと思いました。
信仰生活を始めてからはブログではなく、YouTubeの動画作りに力を入れていたのですが、
私の動画作成も、5割は「原稿作り」で、残り5割が「音声録音と動画編集」のようなものなので、半分はブログの延長のようなところがあり、
ここに今までやってきたことが活かされていて、動画作り自体も楽しく「むしろそれがやりたいし、1日中でもやっていたい」と思いながら作っていました。
良かった。自分には何もない訳じゃなかったんだ。と安堵しました。
神様は、人間1人1人に「個性才能」を与えて創造してくださり、その人にしか出来ないことがある。と、教えてくださっています。
RAPT有料記事59 (2016年4月16日)この世の誰もが「個性」の王様だ。
自分に得意分野があって、そこで光り輝けるというのは、人間にとっての大きな喜びです。
ただこれまでの時代は、支配者層らが、個性が伸びない教育システムを構築し、
且つ、自分達の血筋だけで活躍の場を独占し、一般庶民には光り輝く場所がほとんどない、希望の無い社会を密かに作り上げていました。
#13 有名人同士でそっくりさんが多発する理由 近親婚→素性を隠す 全ては上級国民達による出来レースでした
しかし、これからは義人が光り輝く時代になると、御言葉では宣布されています。
今までの時代がそうではなかっただけに、そういう時代に変わって行くという喜びも享受しながら、私達は生きることができます。
この事を自分自身も理解し、個性才能を伸ばしていきたいと思いました!