誰かの悪口で盛り上がる
飲み会とか、グループで集まっている時に、よくある光景なのかもしれません。
ひと昔前までは、誰かの悪口で盛り上がるなんてことは、ありふれたごく日常の風景だったように思いますが、ここ近年、そういった風潮は変わっているように見受けられ、
「わるぐち」で検索をしてみても、「悪口を言う人とは~」というように、否定的な関連ワードで溢れています。
私の体感としてはSNSの影響が大きいように思い、「○○する人は、○○な人である」「確かに~」といった感じで、良い考え・人間関係の真理・格言のようなものが、SNS上で共感を呼び、Twitter等でそういったツイートがバズったりして、そういうツイートを何度か見かけたことがあります。
若い世代を中心に「良い考え」が、世の中に浸透していったように思いました。
その中の1つとして、悪口を言う人とは~という部分も、広く知れ渡り、「悪口を言うのは良くない」という風潮が強くなっていったのかもしれません。
まだ世の中がそういった風潮になっていなかった頃、
私は元々、口数が多くなかったのもあってか、必然と人の悪口もそんなに言わないタイプであったように思います。その分だけ、周りのことを見ることができました。
ある時、「人は当たり前のように、本人がいないところで、誰かの悪口を言っている」ということに気が付きました。
しかし、その本人の前では、裏ではそんなことを言っている素振りも見せずに、普通に接している。
そういう人間関係に、漠然と違和感を覚えていた、どこか嫌悪感を抱いていたように思います。
そしてある時、仲違いのようなことから、私はそういうグループから離れることとなりました。
その時、気付きました。
「どうせあいつら、自分の悪口を言ってるんだろうな」というのが、分かるのです。見なくても。
何故ならその人達は、私の目の前で、他の人の悪口を当たり前のように言い合っていたからです。彼らが集まって私の悪口を言っている光景が、容易に想像できます。
逆に、悪口を言っているのを見たことが無い人に関しては、「あの人は、悪口を言っていないのかもしれない」と思えますし、私も、そういう人でありたいなと思いました。
「類は友を呼ぶ」という言葉もありますように、
普通に悪口を言う、その人の周りには、自然と良い人は集まらず、自然と良い人は離れていく。
そういう人どうしが集まっても、良い友人関係・良い職場関係・良い恋人関係・良い結婚…人生全般、良い何かを手にすることは非常に難しいのではないでしょうか。
むしろそういう人どうしが集まるほど、いさかいだらけ、問題だらけになるのは必然です。
ただでさえ離婚率は3割を超えるという世の中でありますので、悪い性格の人どうしの関係であればその離婚率はさらに高いことでしょう。
日本の夫婦の離婚率は35%!実態と原因・離婚回避のためにできること
人の悪口を言う人か、言わない人か というのは、その人を判断する時の大きなポイントとなります。
悪口を言わないことで得をすることは、色々とあります。悪口を言うことで損をすることも、色々とあります。
悪い性格のまま生きる人にとって、何が1番不幸かと言えば「この世界は神によって造られ、神は生きておられる」という真理に、到達できないことです。
「自分という人間は何故存在していて、人は何の為に生まれてきたのだろう?」と、思いを馳せるような人は、やはり自分の人生に対して向き合っている人であり、向き合っている人なら、いずれは悪を避けるという選択をすると思います。
悪いまま変わらないのは、基本的に流されているからであると思います。そちらの道の方が楽だから、気の向くままに、自制なく生きてしまう。
だけど、悪い生き方を続け、痛い目を見て変わる人もいます。私がそうでした。
証③ 「因果応報」は確かに存在していると思う、これまでの私の人生
もし悪い生き方を変えずに生きていたら、どうなっていただろう?
今から考えてみると、想像もしたくないほど、何も無く、何も分からないまま、生きていたことと思います。
今、悪い人間なのかどうかは重要ではありません。悔い改める人を、神様は赦してくださる方だからです。
どうか1人でも多くの方が、悪い生き方をしても虚しい末路しかないと悟り、善い生き方へと変わり、その先にある神様の道に立ち返る人が増えてくださいますことを、心よりお祈りいたします。