私は昔から、「不安心配」が強い子どもでした。
思えば小学校低学年の頃、自分の部屋が2階にあり、床に傾きが出ていて、壁と床に少し隙間がありました。それを見て私は母に、突然床が抜けたり穴が開いたりしないのか?と、過度に聞いたりしていました。
もっと小さい頃には、親も効果があると分かってか、よくお化けの話をされて、寝かしつけられていた記憶がうっすらとあります。
そういう性格もあってか、私はある時、生活に支障が出るレベルの「強迫性障害」を持ってしまいました。
強迫性障害とは、実際にはありえない事柄や状況に対する不安感に、それが不合理でバカバカしいと分かりながらも過度にとらわれ、その不安を解消するために一見無意味で過剰と思われるような行動を繰り返す病気のことです。
よく聞くのは、「手を洗うことがやめられない」「確認することがやめられない」こういった行動で発症される方が多いようです。
私の場合は、漫画などの影響から「今自分が、この呪文を唱えなかったら、将来自分が大きな事故や病気になった時、ここで呪文を唱えなかったせいでそうなってしまったのだ」と考えてしまう。というもので、
将来そうなりたくないからと、心の中でその呪文を唱えることを、やめられなくなってしまったのでした。
それがエスカレートしてきて、「それを思った地点で唱えないと効果が無い」みたいなルールまで勝手に決めてしまい、生活上の中でも「その場所まで戻る」という奇行が加わり、日常生活にも支障が出てきました。
結局そういうことをしていたにもかかわらず、専門学校に通っていた時は「肺気胸」になったり「原因不明の皮膚病」が発病したりもして、
自分がそういう状態になると、強迫性障害の行動がどうでもよくなってきて、症状が自然と治まったりしていました。
しかし、平穏を取り戻してきた社会人となってから、再び強迫性障害の症状がぶり返してきてしまいました。
「社会人にもなってこんなことに縛られていたら、どっちにしてもまともな生活が出来ないじゃないか!」と思い、
「その場所までは戻らなくてもよい」等と、無理矢理ルールを変えたりすることができるようになり、学生時代よりも「将来」が短くなった分、少し開き直れるようになってから症状はかなり緩和され、
症状があったり無かったりという感じで、「そこまで生活に大きな支障はないも、完全に治った訳じゃない」という状態にまでなっていました。
そんな中、私はこの世界を創造された「神様」の存在を確信し、信仰生活を送るようになりました。
証⑮ 人生に絶望し、藁をもすがる想いで「神様」に助けを求める
証⑯ 神様を呼び求めてから、本当に人生が好転した! そして「RAPTブログ有料記事」の存在を思い出す
もはや意識した訳ではないのですが、
神様の存在を知ったことによって、いつの間にか、強迫性障害を抱えていた自分が消えていたのです!
「神様の存在」つまりこの世界が誕生した根源、人間が生きている意味、頼るべき存在、祈れば叶えられる、そもそも不安心配を持つことは罪である 等々、
こういった事実を知ったことによって、意識せずとも治っていたのです!
一般的には、強迫性障害の治療は難しいと言われています。
本人も意味がないと頭では分かっていても、不安から、それでもやめられないからです。
しかしそれは、「神様の存在を知らない」という世界の中のお話です。
本物の神様の存在を知った人は、それだけで、あらゆる「不安」が取り除かれます。
神様を信じる人は、「それをしなくてもいい」ことが分かるので、強迫性障害は自然と治り、もし治っていないのだとするならば、それは神様を信じていないのと同じことになります。
その為、神様を信じる人は不安が無くなるので、それをもって強迫性障害が治ることになります!
そういう意味では「強迫性障害」というのも、無神論が生んだ、1つの過ちと言えるのかもしれません。
全ての人が神様を信じて生きるならば、強迫性障害という病気は、入る余地がないのです。
どうか全ての方が、何故この世界が存在しているのか、その根源を知り、本来、人間が患う必要の無かった病から人々が解放されていきますことを、心よりお祈りいたします。
この世界は「偶然によって出来た」と考えるより、「何者かによって作られた」と考える方が、遥かに理に適っている
人は、何故生まれ、この世界が存在し、死んだ後はどうなるのか分からない以上、「神様」という存在を考える価値は十分過ぎるほどに有る