私は信仰生活を送る前、1人暮らしをしていて、何度か恐い体験をしたことがありました。
ある日のお昼頃、
呼び鈴が鳴ったので、何か荷物でも到着したのだろうかと思い、ドアスコープを覗いてみると、
ドアスコープが指で塞がれていたのです。
「え?何でドアスコープを指で隠してるの?」と、戦慄を覚えた次の瞬間、
家の周りには怖そうな人達がたくさん集まっていて、「開けろや!出てこいや!」と騒ぎ出したのです…!
1階の裏手の窓にも何人もいて、いつ侵入されるかも分からない状況で、パニック状態の私は、とにかく警察に電話をしました。なんとか状況を説明できて、来てもらえることになりましたが、怖そうな人達はひとしきり騒いだ後、何をするでもなく引き上げて行き、事なきを得ました。
「人って恐怖感じた時に、本当に足が震えるんだな」ということを知りました。
実はこれは思い当たる節がありました。私がした悪い行いに対する報いだったのだと思いました。
その他には、サラリーマンをしていた時、
朝出勤しようといつも通りアパートを出たのですが、ふと気になって後ろを振り返ったからか、忘れ物をしたからか、その辺りは覚えていないのですが、
家の方を見ると、私の部屋のドアを開けようとしている人がいたのです。
最初は「見間違いか?」と思いましたが、確かに私の部屋のドアを開けようとしているのです。
このまま出勤する訳にもいかないので、私は戻ってその人に「何してるんですか?」と言いました。
そしたら「あ、娘の部屋だと思ったんだけど、部屋を間違えたみたいです」と、明らかに嘘と分かる言い訳をし、且つ、やけに落ち着き払った慣れた対応をしてきたので、泥棒の常習犯なんじゃないか?と思いました。
その日1日は、出勤して仕事中も気が気じゃなかった訳ですが、帰ってからは、特に侵入された形跡もなく、その後の数日間何かが起きた訳でもなく、一安心しました。
私は最初「RAPT理論」という、この世の核心も核心の情報を発信する時、
既に情報発信をしている人達はたくさんいらっしゃったとはいえ、何も不安が無かったか?と言えば嘘になります。信仰を持ったとは言っても、あくまで1年目のレベルという感じでした。
小さないさかいや巡り合わせの悪さでも、襲撃に来られたり、泥棒が来たりするくらいなのですから、
それこそ、RAPT理論を情報発信しようものなら、
街中でいきなり殴られたり、毎日のように家に襲撃に来られたり、泥棒に入られたり、
「そういうことになっても全く不思議ではない」ということを、私自身、信仰生活以前の体験を通して分かっていた訳です。
ところがこの3年間、そういった類のことは、1度も無かったのです!
信仰生活の面で、色々と辛い経験や悪人による妨害らしきことはあったりもしたのですが、それとは別に、
「あれ?自分、何もしていなかった時でさえ、襲撃とか泥棒未遂とか、恐い経験をしたことがあるのに、RAPT理論の情報発信をして、そういう恐ろしい目に1度も遭っていないって、これってもの凄い奇跡的なことなんじゃないか?」と、ある時に気づいたのです。
それをもって、「これは、神様や天の諸霊の皆さまが守ってくださっているという、何よりの証じゃないか!」と思いました。
マタイによる福音書:10章39節
わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。という聖句もありますが、本当にその通りだと実感せざるを得ません。
そうなるのは、「RAPT理論」が神様から出たもので、RAPT理論が広まっていくということも、当然神様の御心に適ったことだからであり、
だからこそ、本来であれば誰が見ても危ない橋を渡っているにもかかわらず、私は3年間1度もそういう目に遭わなかった。本当に神様は生きておられ、守ってくださっているのです!
たとえ人生が順調で、自分が思い描くように生きていたとしても、それを相殺するような悪い出来事が起これば、一瞬で水と泡となります。
「好事魔多し」という言葉もありますように、人生においてこういったことは往々にして起こり得ることであり、不安心配の気質が強い人ほど、逆に得たことによって失う心配も同時に得てしまい、その中で生きることになってしまいます。
だからこそ「大いなる存在に守られている」という安心感は、かけがえのないものであり、まずは精神面での平穏をもたらしてくれます。
さらに「本物の神様を信じている人」は、物理面でも本当に守られている訳なのですから、それがどれほど有難いことでしょうか。
まさに、今の日本の状況が、この事を教えてくれているかのようであります。
今までが普通で今が特別なのではなく、「今までが守られていて」今が通常の状態です。神様がこの日本を守られていた数々の証
どうか全ての方が今の日本の状況を冷静に見つめ、この中で精神的にも物理的にも、まともに生きられる方法はないのかと模索し、
「もう神様に助けを求める以外に方法はない」と悟り、その祈りによってその方の運命が好転し、人生の答えと出会えますことを心よりお祈りいたします。
証⑯ 神様を呼び求めてから、本当に人生が好転した! そして「RAPTブログ有料記事」の存在を思い出す
2023年3月11日(土)
2023年から神様が下される裁きは、人が神様に裁かれていると気付いて認め、悔い改めるまで続く。だから、悔い改めない人はいつまで経っても裁きがやまず滅び去っていくが、悔い改めた人は直ちに裁きがやんで、祝福に満たされる。