私は元々、文章を書くのがド下手クソでした。
「あの頃の自分より文章が下手な人は見たことがない」というレベルなので、おそらく相当下手だったのだろうと思います。
その事に気付いたのは、
ブログを書くようになって、しばらく経ってから、過去に書いた自分の記事を読み返した時でした。
自分でも驚くほど、過去の自分が一体何を書いているのか、分からなかったのです。
「伝えたいことが伝わっていない」「凄い分かりにくいな」と思い、もっと分かりやすく、伝えたいことが伝わるようにと、文章を大幅に修正しました。
しかしこれは、私に限った話ではなく、「ブロガーさんあるある」のお話のようです。

特に意識して文章が上手くなるようにと勉強した訳でもなく、ただ「伝えたいことがもっと上手く伝わるように」と文章を書き続けている内に、
いつの間にか文章能力が上達していて、過去の自分の文章が下手だということに、気付いたのです。
私がブログを書くようになったのは、
自分が精通している趣味や事柄について、個人事業についてのビジネスブログ等、伝えたいことがあり、しかもそれでアフィリエイト等もやれば副収入も手に入る。上手く行けばそれで食べていける。「やりたいことをやりながら、収入を得られるっていいな」と思ったからで、
それで何個もブログを立ち上げては、記事を書き続けていました。
伝えたい内容はたくさんあったので、文章自体は、ずらずらと書けていました。
でもやはり多くの人に見てもらう為にも、伝わるように伝える為にも、
読みやすさ、分かりやすさ、面白さ "総合的な文章力" というものを、自分でも気づかぬ内に求めていたように思います。
絵でも、料理でも、楽器でも、スポーツでも、「上手くなろう」と思ってやり続けていれば上達しますが、ただ漠然と続けていても上達しない。 私も楽器を「特に目標もなく、ただ漠然と」練習し続けていた時期がありますが、結局大して上達することはありませんでした。
しかし文章に関しては、「上手くなろう」と思いながら、長きにわたって文章を書き続けていたおかげで、ある一定以上の、"文章の心得" のようなものは、身に着きました。
それは、聖書を読むようになり、神様の存在を知り、信仰生活を送るようになってからも、続けていました。
今までもそうであったように、この世の真実や神様のことを知った私は、このことについても伝えたかった。「伝道」がしたかったのです。
最初はしばらくの間、TwitterやYouTubeで真実の情報を約3年ほど発信し、このブログでは神様のことや様々な証の記事などを約2年ほど書き続けてきました。
その中において、「こんなことを伝えたいけど、伝える為の良い記事のアイディアが無かったり、またそれ自体を上手く伝える方法が分からない」
そういった理由で、伝えられていない部分というのが、日々少しずつ、積み重なっていきました。
そんなある日、
とある個人ブログを読んでいた時、ブログ上に自分で小説を書いて、記事を自由にアップしているのを見た時に、
「あぁ、そうだ!私も自分のブログで小説を書けば、小説のストーリーに乗せて、伝えたいことを上手く伝えられるかもしれない!」と思ったのです。
「連載小説」自体は、RAPT理論+α のサイト内、
連載小説 – プレトとルリスの冒険 を読んでいて知っていました。
でもその時は、「TOPAZさんという兄弟姉妹の方が始められたこと」だと思っていたし、私自身小説家になりたい訳ではなかったし、小説もたくさん読んでいた訳でもなかった。 なので、自分も書いてみようとは全く考えませんでした。
でも個人ブログの連載小説を見た時は、ただ1つ1つ記事を書いていく状況に限界を感じていたことも相まって、「そうだ、自分でもやっていいんだ」という発想になれました。
そしていざ、小説を書き進めてみると、
TwitterやYouTubeやブログ記事で伝えていた伝え方とは異なり、「小説というストーリーに乗せて」伝えることが出来るので、今まで上手く伝えられずにいた部分も、小説という形で上手く伝えることが可能となりました!
それをもって、私は水を得た魚のように、「あ、これこれは、こういうストーリーの中で、こんな風にして伝えたら面白いかもしれない」と、次々と各ストーリーの構想が思い浮かんでいきました。
私は小説を書くことに、大きな喜びを感じています。
まず小説を考えること自体がとても楽しく、そしてそれを「上手く表現出来た!」と思う時は、さらに大きな嬉しさと充足感があります。
私は「小説を書く」という経験を通して、
人は、自分が努力し、他の人にはまず出来ない能力を身に着け、
それを発揮できる場所があること、そして発揮する対象があること。
それが、人間にとっての幸福なのだと、悟りました。
例えば野球も、いくら野球が好きで、どんなに技術を磨いたとしても、試合に出れ(発揮できる場所が)なかったら虚しいもの。
そして同じ試合でも、プロ野球という最高峰のチームに所属し、そのチームの優勝の為(発揮する対象)にプレーするのと、草野球やただの練習試合では、その試合の意義や対象の大きさは全く変わってきます。
またチームという対象の中には(監督、球団関係者、チームメイト、ファン、家族 等)様々な存在が含まれていることでしょう。
実際にプロ野球の優勝の瞬間は、多くの選手が心から喜んでいます。
なにかの為に その対象は数あれど、
この世界を創造した「神様の為に」 これほど大きな対象は、他に存在しません。
私は文章を通して、「やった。信仰生活で悟ったことを、この世の真実を、神様のことを、上手く伝えることができたぞ」 という手応えがあるものを、この地上の世界で表せた時、
それが私にとっての大きな喜びであり、きっと神様も喜んでくださっているに違いありません。
人は、大きなことをやってこそ、大きな喜びがある。
私は、この世界の最も大きな存在である、神様を愛し、神様と愛を成してこそ、最も幸福に生きられるのだと、RAPTブログを通して学びました。
RAPT有料記事250(2018年2月12日)主が天地万物を創造した目的はただ一つ。私たち人間と愛を成すためだ。
RAPT有料記事378(2019年6月1日)主を愛して生きる人だけが、この世で天国のような喜びに満ちた生を生きられる。
なので私は、今は何も無くとも、
「良い小説が書きたいな、良い小説が書けますように」「この小説ももう少しで終わりだ。それが終わってから、次はこんなことをやりたいな」 毎日が充実していて、幸福を感じながら生きています。
そして私自身もきちんと成長するならば、RAPTさんのように、真に神様から愛される者となって、霊肉共に栄えていくことが出来ると、確信しています。
自分に出来ることがある。そしてそれは、神様の為になる。
その状態こそが、この世界で最も価値があり、最も充実していて、最も幸福な人生となるのだ と思いました。
その為に、正しい目標を持って、日々コツコツと、熱心に努力を続けること。そして続けていたら、いつかきっと、思わぬ形で、花開く。
どうか全ての方が「神様」の存在に気付き、自分が生まれてきた意味を知り、最も価値ある、生き甲斐に溢れた幸福な人生となりますことを、心よりお祈りいたします。
人は、何故生まれ、この世界が存在し、死んだ後はどうなるのか分からない以上、「神様」という存在を考える価値は十分過ぎるほどに有る
RAPT有料記事301(2018年8月11日)仕事の中にこそ恵みがあり、幸せがあり、喜びがあり、生き甲斐があると悟りなさい。