御言葉に従って生きるようになった人は、霊的に鈍感であったとしても、「お祈り」はすると思います。分からないなりにも。
神様が願っていること、御言葉の中でこう祈りなさいと言われていること、自分が願っていること、それを祈っていればいつか叶うのだろうと、頭で理解して、祈ることを行える。
しかし「悔い改めなさい」と言われて、霊的に鈍感な人は、これが分からないんじゃないかな。と思いました。
少なくとも私は、しばらくの間よく分かっていませんでした。
私の場合は、御言葉の通りに、明け方の時間に悔い改めを行い始めてみたものの、
それによって何かを感じる訳でもなく、やらなかったことによって何かがある訳でもない。という感じで、いつしか明け方の時間に悔い改め自体がなくなっていたり、あるいは行っても儀礼的にしているような感じがありました。
そういう状態がしばらく続いていたのですが、
ある時から、明け方の時間や日常生活の中で、えもいえぬ「心の苦しみ」を感じるようになりました。
ちょうどこちらの御言葉が宣布された前後の時期であったと思います。
2021年8月15日(日)
心の苦しみは、おおよそ全て自分の罪から生じる。だから、心の苦しみを他人や環境のせいにばかりするのではなく、自分の罪のせいだと認めて、心を打ち砕いて悔い改めなさい。
今の自分はそういうことなんじゃないか?と思い、
御言葉で伝えられていた内容通りに、明け方の時間に自分の悪い部分を無くしてくださいと、心から悔い改めるようになり、あるいは聖書や御言葉から何が罪なのかと、本格的に探し出すようにもなりました。
実際にそのように悔い改めることによって、心の苦しみのようなものも無くなって行ったのです!
そして悔い改めを行うと、その罪によっては、確かに自分の中から薄れていっている。というものも実感するようになっていきました。
霊的なことが分からないと、それだけ信仰生活は難しい。
だからこそ自分の信仰生活について赤裸々に書いていくことは、意義のあることだと思い、このように書かせて頂いている次第です。
どうかせっかく御言葉に出会われた方が、信仰生活から離れてしまうことがありませんように。
続けていれば私のように、いつか「そういうことだったのか」と分かる日が訪れるということを信じて、信仰生活を続けることができますことを、心よりお祈りいたします。