私はこれまで、自営業でたくさんの中古書籍を仕入れてきました。中古本の中には実に様々なものが挟まっていたりもします。
ある日、購入した本の間に「聖句のしおり」が挟まっているのを見つけました。
これは珍しいと思い、その聖句を見てみると「詩編」の聖句であり、
その日私はつい先ほどまで聖書を読んでいて、ちょうどその時に読んでいたのが、詩篇の個所でした。
しかも「え?まさかここって…さっき自分が読んだところじゃないか!?」と思いました。
聖書を確認してみると、確かに、ちょうど私が今日、読んだところの聖句だったのでした!
「約2,000Pある聖書の中で、珍しく本の中に挟まっていた聖句のしおりが、今日私が読んだ個所のものだった。」一体どんな確率だ!?と思いました。
そんな偶然はないと思って、聖句を見てみると、このように書かれていました。
詩篇:86章11節
主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように一筋の心をわたしにお与えください。
なんとなく、重要な聖句であることは理解できました。
確かに「(主の)御名を畏れ敬う」という心が、私には足りなかったのかもしれない。と思いました。
それが分かった瞬間、「これは神様からのメッセージだ!」と思いました。
それから私は、こちらの聖句と同じ祈りを、日々の中でささげるようになりました。
本当に心から「主を畏れ敬う」ことが出来ている人は、日々の全ての言動が全く異なるものになるはずであり、
信仰生活とは、主を畏れ敬えているか・いないか、ここでまるっきり変わってくるのだと思いました。
さらに信仰生活を重ねた現在は、より、こちらの聖句の重要性を実感しています。
確率論から見ても、こんな偶然は滅多にあることではないと思います。
しかし、これは偶然なのか偶然じゃないのか?もはや重要なのはそこではなく、
「私はこの聖句のしおりを見つけ、その聖句の重要性を悟ることができた」これが私にとって、大きく意味のあることでした!
もし仮に、見つけた聖句の内容から、特別得るものが無かったのであれば「そういう偶然もあるんだな」という感じでありますが、そうではなかった。
ということをもって私は、「これは偶然ではない。神様からメッセージだ!」と思いました。