御言葉(朝の祈り会)を聞いている内に、だんだんと分かってくるようになります。
どういうことを求められているのか、何をしなければいけないのか
何も分からずにこの御言葉を聞き始めた私は、この道に進むことによって、私のやりたいことが叶うと思っていました。
つまり、LGBTとして、私が進めなかった障害が取り除かれ、進めるようになり、自分がやりたかったことができるようになる。
あるいはそれが叶わないならば、せめて私のことを理解してくれる女性と付き合いたい。
数年前、自分によく似た女性をSNSを通して知り合いました。あくまでネット上でではありますが、自分という人間もかなり特殊な人間だと思っていましたが、そんな自分と凄く似ているところがある。「え?こんな女性は他にいないんじゃないか」と思い、ずっと気になっていました。
この2つが、私の願いでした。
しかし、御言葉を聞いていると、
まず男女の恋愛は「信仰歴3年以上を持った人『どうし』でなければいけない」とはっきりと聞いて、私の2番目の願いは、少なくとも向こう3年以上は叶わない or あるいは叶わない が確定しました。
2番目の願いは、まだ諦めはつきました。問題は、人生の全てを捧げてきた、1番目の願いでした。
LGBTに関しても、直接的に言われている訳ではありませんが、「え、これって叶わないんじゃないの?」ということが何となく分かってきましたし、それどころか「え、叶わないどころか、もしかして…捨てなければいけないの?」
という衝撃の事実が、分かってくることになります…
それはまさに私にとって「第二の絶望」でした。
この時の私としては、神様の存在を半分くらい信じていたような状態にあったと思います。
なので、もうこの御言葉を聞くのをやめようとはならず、「どうしたらいいんだ自分は」「いつか、何かを、決断しなければいけない時がくるのか」
そのようなことを考えていたように思います。
ただこの頃は、「コロナパンデミック」というものが目の前にあり、
それに伴い、「自分も情報拡散をしなければ」という想いも日増しに強くなっていき、自然と情報拡散にも励むようになっていきました。
目の前に突き付けれられた現実が、自分にとってあまりにも残酷なものであったため、正直私は、見て見ぬフリを続けていました。
しかしいつかは、向き合わなければいけないのだろう。という想いは、消えることはありませんでした。