SNSでバズったことは、嬉しいことでもあり、悲しいことでもあった。
自分の辛い過去と真正面から向き合い、多くの人から、忌憚のない意見を頂戴することになったからである。
感傷に浸った私は、気分転換も兼ねて、
散歩にでも行こうと思った。
今の自分の心境とマッチするかのように、この日は曇り空で、陽が傾きかけてきた時間帯
でもどこか、悪くない気分だ。 なにか、良い景色のように映る。
世界と自分が、共鳴しているような気がするから、なのかもしれない。
私が住んでいる街は、年々、寂れて行く。
ここにはかつて、私が通っていた幼稚園があった。しかし今では、更地となっている。
うっすらと、幼稚園児だった頃の記憶があり、
かつて自分がここで時を過ごしていた記憶を辿って、その情景を目の前に広げてみた。
夏草や 兵どもが 夢の跡
近所を歩いてみても、子どもの姿がない。
私が子どもの時は、誰も彼もがみんな、外で元気に遊び回っていたものだ。
ゲームやスマホが普及して、外で遊ばなくなる子が増えたと言うが、
私の時代にもファミコンが大ヒットしていたし、インベーダーやマイコン等もあった。
でもみんな、外でも遊んでいた。
では、一体どうして…?
ふと、思い出した。
そう言えば誰かが、ワクチン予防接種スケジュール表の画像を投稿していて、
その日程がとんでもない過密スケジュールで、「なんだこれは?私の時代にはこんなに打っていなかったぞ」と、思ったことを。
私は足早に帰宅し、早速パソコンを開き、
ワクチン接種回数が増えた時期と、子どもが外で遊ばなくなった時期を調べてみると… ビンゴだった。
やはりこの両者には、相関関係があった。
生物学的に見ても、そもそも人間には強力な免疫機能が備わっているのに、本当にこんなに打たなければいけないものなのか? そういう観点から見ても、ワクチンというものは怪しいと言える。
さらに言うなら、数年前には「ワクチン薬害集団訴訟問題」があり、世間的にも大きく報じられていた。
つまり、ワクチンが原因である可能性は十分に有り、
これでワクチンを疑わない方がどうかしている というものだ。
…なぜ、大手メディアは、誰もこの事実を言わない?
なぜ、ゲームやスマホが普及したから 等と言って誤魔化す?
なぜ、疑う余地が十分過ぎるほどにある、「ワクチン」について言及をしない?
いや、これは医療だけじゃない。教育の分野に関してもそうだ。
「学校で習ったことは、社会に出てからほとんど何の役にも立たない」
なぜそれを、誰も教えない?
政治にしたってそうだ。
「政治家はこの国を良くしようなんて思っていない。むしろ悪くしようとしている。」
あれこれと政治家を批判する著名人達は大勢いるが、誰も彼もがこの本質を避けて批判している。
まるで、箝口令が敷かれているかのように…
一体どうなっている?
この世の中、何かがおかしい、
なにかが…
(第8話へ続く)