あの出来事は夢だったのだろうか…? と、思う時がある。
「これが偶然であるはずがない」という形で、壮大に祈りが叶ってからというものの、
私は事あるごとに、お祈りを捧げるようになった。
中には叶えられたお祈りというのもあった。しかし、叶えられていないものの方が多かった。
もちろん、祈ったことが次々と、ゲームのようにすぐ叶えられるとは思ってはいないが…
それでも、あの時に叶えられたお祈りが衝撃的すぎて、
いつかまた、あのような大きなお祈りが叶えられるのではないかと思いながら、私は今も、祈り続けている。
それと「神様は存在している」と、心に想いながら読むようになってからは、
聖書の読み方も、ガラリと変わった。
あの日から、本当の意味で、聖書を読み始めた。
本日をもって、調理場の中台を長年支えていたパートさんがやめることになった。
最後の出勤の日に、地元の銘菓をみんなに振る舞ってくれた。
家に帰ってから、いただいたお菓子を食べてみて「あ、このお菓子ってこんなに美味しかったんだ」と、驚いた。
おそらく、完全に初めて食べたという訳ではないのだが、若かりし頃に食べたことはあった気がする という程度の記憶で、その味も覚えていなかった。
全国的にもある程度知名度があって、お土産として人気を博している理由がよく分かった。
私は、地元の銘菓の味も、ロクに知らなかった。
よくよく考えてみたら、「私は自分の生まれ育った町のことさえ、あまりよく知らない」と思った。
そこで休みの日に、
地元の観光スポットである、お花畑を訪れてみた。
一面には、色とりどりの花たちが、咲き誇っている
思えば私は、これまでの人生で、
本当の意味で、花を見たことがなかった。
数ある情景の中の一部として、自分の網膜に一緒に映っていただけの状態であり、
花を花として、見たことがなかった。
この花一輪一輪が、1つの生命だ。
一輪一輪の花は、神によって生まれているものであり、神によらなければ、ここには一輪たりとも存在していない。
そう考えると、風に揺らぐ花たちが、とても特別で愛おしい存在のように思えた。
そもそも、 この世界にはどうして「花」というものが存在しているのだろう?
しかも花だけで、こんなにも多くの種類がある
「必要なんだろうか?花って」
…花は、この世界に "彩り" を添えている。
もしこの世界に花が無かったら、かなり寂しい世界になっていたに違いない…
ふと気が付くと、
どこからともなく、クスクス…という笑い声が聞こえ、なにか周りから、微笑ましい目で見られているような感じがする。
我に返って、自分を客観的に見てみると、
いい年こいた大人が、花に向かって、金魚のように目を見開きながら、口をパクパクさせているのだ。
まるで「花を初めて見た人」のようである。 (ある意味、間違ってはいないのだが)
恥ずかしくなった私は咄嗟に、照れを隠すように、周りに会釈を振りまいた。
すると周りからも、(いーえ、綺麗ですもんね。花って)といった感じの会釈が返ってきた。
心なしか、その場は和やかな雰囲気に包まれた。
一瞬、すたこらさっさと、その場から逃げ出そうかとも考えたが、そうしなくて良かった と思った。
せっかく来たのだからと、場内にあるお花を全て見て周ってから、お花畑を後にした。
…特別、意識して考えてみたこともなかったが、
この世界の中にあるもの全てが、「ひとりでに、理由もなく、勝手に誕生して、存在している」なんてことが、有り得る訳がない と思った。
この世界の中にある全てのものは、何者かの意志があり、何者かの手によって、理由があって、存在しているものだ
花1つ取ってもそうであり、ましてや、太陽、酸素、水、土… この地球上に、無くてはならない存在は、もっとそうではないか。
なぜ、全てのものは存在し、誕生し続けているのか?
進化論者は、理路整然と説明することができない。
だが、創造論者は、明確に説明できる。
「全てのものは、創造主によってつくられ、創造主によって誕生し存在し続けているからである」と。
思わず私は、その場にしゃがみ込み、地面の土を、指先の上に取った。
するとその時、強い風が吹き、土埃となって、空に舞い上がった。
目で追いかけた、その空の先に、
神様がいるような気がした。
(第21話へ続く)