私が勤務している職場は、自宅から歩いて15分ほどの距離にあり、
近すぎず遠すぎず、私にとってちょうどいい、絶妙な距離にあると思う。
なんというか、この道を歩くことが、私にとって好きな時間の1つだ。
歩くこと自体も好きだし、毎日異なる景色の中、ちょっとした考え事なども出来るし、気分転換にもなり、癒される感じがある。
通勤の手段は、車通勤、自転車、公共交通機関、歩いて通う人 事情によってそれぞれであるが、
徒歩は、天候や道路状況なんかにも左右されないので、その点も恵まれている。
あと道すがら、スーパーもコンビニもあって、いつでも寄ることができる。
上手く言えないが、
この「職場まで歩いて15分ほどの距離」というのは、自分の生活において、えもいえず "とてもいいな" と感じていた。
今、その通勤の道のりに、リフォーム中の建物がある。
白を基調とし、屋根や縁取りは薄いラベンダー色で統一されていて、デザインや小物なんかにもこだわりが見られ、夜になると綺麗なライトアップが施されている、そんなおしゃれな建物だ。
"すいーつ" のお店でもオープンするのだろうか?
確かに、この辺りにはそういったお店がないから、需要が高そうだ。私も甘いものは好きだし、お店が出来たら行ってみようかなと思った。
程なくして、リフォームは概ね終わったようで、
オーナーさんは犬を飼っているのか、離れた場所には犬小屋があり、既にワンちゃんも鎮座していた。
ワンちゃんは私のことを覚えてくれたのか、私がこの道を通ると、決まって犬小屋から出てきて「わん!」と、挨拶をしてくれる。 私も「やぁ」と返す。
ふと上を見ると、屋根には十字架のシンボルが取り付けられていた。
なんと、こちらの建物は「キリスト教の教会」であったことが判明した!
私は思わず、この建物を4度見した。
えっ、 えっ? えっ!? えぇぇぇえええええ?
まず、"すいーつ" のお店だと思っていたのと、良い意味で教会とは思えなかったおしゃれなデザインにも驚き、何よりいつも通る道のりに「キリスト教の教会が出来た」ということに驚いた。
それに加え、
ちょうど私は「聖書」について、あらゆる疑問が出始めていた時だった。
聖書の解説本や、ネット上の聖書の解説記事等では、
当時の時代背景がこうだから、この語句はギリシア語でこういう意味だから、「この聖句はこういう意味となる」といった、細かな点に関しては、参考になるのだが、
肝心な部分というか、「この聖句の真意、深い意味のようなもの」そういった部分は、ほとんど分からなかった。
なので私は、自分でも気付かぬ内に、「誰か聖書について手引きをしてくれる人はいないだろうか」と、求めていたように思う。
そんな心の内を見透かしているようなタイミングで、目の前にキリスト教の教会が登場したことに、
私は二重にビックリした。
私が通うべきキリスト教への扉が、
今、目の前に開かれたようにしか思えなかった。
(第22話へ続く)