これはプリズン・ブレイクという海外ドラマの中で話されていた内容ですが、
例えば多くの人が「ランプ」を見たら、「ランプ」としか認識しない。ランプはランプだと、無意識化で脳は情報をシャットアウトしている。またそうすることによって正気を保っている。
しかしある特徴を持った人は、「ランプ」を見たら、その全てを脳が処理する。つまり、ステム・電球・ボルト・ワッシャーの中まで…と言った感じに。
そのような特徴を持って、且つIQの高い人は、創造的な天才となる。という話でした。
つまり、自分の中ではこう見えている、こう捉えているということが当たり前でも、
人によってここまで見え方・捉え方が異なる。ということが、はっきりと分かる一例であるように思いました。
これと同じように世の中でも、同じ情報を見たり聞いたりしていても、人によって受け取り方が全く異なります。
テレビ新聞を見る人・見ない人
陰謀論に否定的な人・肯定的な人
世の中のことでも、対人関係でも、
何か正しいことを説明した時に、理解してくれる人・理解してくれない人
この差は一体何によって生じているのだろうか?と、心のどこかで疑問に思っていました。
しかし最近の「朝の祈り会」の方にて、その答えに出会いました。
2023年4月28日(金)
サタンのばら撒いた非真理を受け入れると、どんな悩みも疑問も解決できず、何も分からないという苦しみ中で生きるしかない。しかし、真理を受け入れた人は、どんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かるという喜びに満たされて生きられる。
先ほどの両者を大きく分けているのは、
自分の中に「非真理」が多くあるか、「真理」が多くあるかの違いなのだ。と思いました。
非真理を蓄えてしまっている人ほど、テレビ新聞を見て、
真理を蓄えている人ほど、テレビ新聞を見なくなる。
確かなこと(真理)だけに基づいて生きれば生きるほど、人生に間違いが起こりにくい。
確かなこととは、この世の中は嘘だらけであるということ。
確かなこととは、テレビ新聞とは「一方的に情報を受け取るだけ」という危うい性質があり、そこに悪意さえあれば、洗脳装置になりかねないものであり、実際に悪意を持って悪い考えと嘘を垂れ流され続け、洗脳装置と化している。
その結果として、テレビ新聞を見ないという選択をしています。
これまでの時代は、テレビ新聞を見ていようと見ていまいと、陰謀論に否定的だろうと肯定的だろうと、両者は大差なく、この世の中を生きられていたように思います。
しかし、今の時代はどうでしょうか?
「非真理」を蓄えるか、「真理」を蓄えるかが、人生において本当に大きな分かれ目となり、それが今の時代を通して、露わになっているように思いました。
どうか多くの方が「非真理」を排除し、真理がなければ生きていくことが難しいこの時代に「真理」を蓄え、個人の運命も、世界の運命も好転していきますことを、心よりお祈りいたします。