人間とは、実に様々な「前提」があった上で、こうして生きられて、毎日の暮らしがあるのだ。と思いました。
そう思ったのは、自営業の方でこのような経験をした時でした。
私は某大手通販サイトに多くの商品を出品し、在庫もそのサイトが運営している倉庫に預け、発送作業までも委託している状態でした。
しかしある日、商品を倉庫に納品する際の発送でミスをしてしまい、そのミスは私が思っていた以上に重いものであった為、次に同じようなことを行った場合は「出品アカウントの停止」もあり得るという状態となってしまいました。
この時に気づきました。「そうか、この自営業とは、出品アカウントが無くなったらその瞬間終わってしまうという、薄氷の道だったのだ」と。
これまで私は、出品アカウントが「あるのが当たり前」という認識で生きていました。しかし、そうではなかったのだ、ということに気づきました。
実際に取扱商品によっては厳しいカテゴリもあり、法律やら著作権やら悪質なカスタマーによる被害やらにより、出品アカウントBANをされている出品者さんも少なくないようでした。
そういう意味では、出品アカウントが「ある」ということが、有難いことなのだと思いました。
こういった経験というのは、思い起こせばたくさんあるのだと思いました。
例えば私は、宿泊代を浮かそうと、車中泊を何度か試みたことがあります。
無知だった私は、「寝袋と窓につけるカーテンだけあれば寝れるだろう」と思い、わずかな準備のみで寝ようとしたのですが、ここで侮っていたことが全て自分の身に降りかかりました。
比較的気温が低い日だったこともあり、「車内で寝るとこんなにも寒いものなのか」と初めて知りました。寝袋も思った以上に保温性が高くなかったことも、無知な私にとっては意外でした。
百均で買った窓につけるカーテンも、吸盤がちゃんと張り付かない、しかもカーテンの枚数が足りずに隙間だらけで思った以上に眩しい。
車の形状の関係から、ギリギリ足が伸ばし切れない、それよりも「床がフラットじゃない」とこんなにも寝づらいのかということを知りました。
凍えそうな寒さと、体勢の悪さで、まともに眠れる状態でない中、さらに追い打ちをかけるかのように、雨も激しく降ってきて、ボンネットを叩く音がうるさいわで、
なかなか眠れない、数時間意識を失ってはまた起きる、を繰り返し、身も心も冷え切った中で朝を迎えるという、散々な車中泊デビューを果たしました。
それによって、家で「保温性に優れた壁があって」「フラットな床があって」「暖かい布団があって」ぐっすり寝ることができるという有難みと、その幸せを知りました。
そして「当たり前のことを当たり前と思っている内は、真の幸せというのは感じられないんだろうな」と、悟りました。
そういうこともあって、私はある時、人気YouTuberの人達に違和感を覚えたことありました。
「何で大物YouTuberの人達って、あんなに余裕をぶっこいていられるのだろうか?」と。
YouTuberという存在は、「YouTube」というプラットフォームに依存しています。つまりYouTubeがなくなったら、自分のチャンネルが無くなったら、その時点で終わる。吹けば消えるろうそくの灯のようなものであります。
本来YouTuberとは、そういう立場。生殺与奪権は、完全にYouTubeに握られている。
なのに、彼らから「自分はチャンネルが無くなったら終わりです」「自分はYouTubeから嫌われたら終わりです」「どこかの勢力に目を付けられて潰されたらどうしよう」「何かの拍子にチャンネルが無くなったらどうしよう」
こういった危機感や不安感を、全く感じない。稼いで充実している人ほど、そのリスクも理解し気を配っているはずなのに、これは一体どういうことなのだろうか?と。
その疑問は、後にRAPT理論の方で「有名YouTuber達は上級国民の血筋であり、彼らの背後には中国共産党や創価学会といった巨大なバックがあるから」ということを知り、
「そういうことだったのか」と、納得しました。
【出来レース】トップYouTuberたちは、ほとんど全員上級国民
【第18回】ミナのラジオ- 宮迫や青汁王子の復活劇は全て茶番 ヒカル界隈のYouTuberは全員、中国共産党員である可能性大 – ゲスト・RAPTさん
後ろ盾があるし、忖度してもらえるし、基本的にアカウントも含めて色々なものが守られているから伸び伸び活動できていたし、誰も彼もがコラボだらけだったのか、と。
「当たり前だと思っていることは、当たり前じゃない」という悟りを得ていたことによって、
その与えられていることの有難みを知ったことのみならず、世の中のおかしな部分にも気づき、カラクリを知ることにも繋がりました。
もしそれがなかったら、こういった部分に気づかず、世の中に疑問を抱くこともなく、メディアの情報に翻弄され続けていたのかもしれません。
なので、色々な経験をし、その経験から様々なことを悟るということが、
世の中を生きていく上で、本当に重要なことであると思いました。
聖書にも、このように書かれてあります。
ヨハネによる福音書:8章32節
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
私もいくつかの真理を得ていたことによって、世の中のおかしさに気づき、RAPT理論によって嘘だらけの世の中のカラクリが分かり、嘘に騙されないという自由の中で生きられるようになりました。
それだけではなく、この世界の成り立ち、人間が生きているということの全ての前提、与えられているもの、その有難みを知り、幸福感も増し加わりました。
このように、聖書には、RAPT理論には、御言葉には、真理が詰まっています。
私も、その真理を伝えていける者となり、世界に有益な働きをしていけることを願って活動をしています。
今までサタンに支配されていたこの世の中で、真実と真理を知り、自由の中で幸福に生きられる人で満ち溢れ、神様の世界へと造り変えられていきますことを、心よりお祈りいたします。