この世の中とは、全ての人が同じ世界に住んでいるようでいて、実質的にはそうではなく、
その人が「生きたい」と思う世界に入って行き、それぞれがその中で生きているようなところがある。と思いました。
自分と関りのない世界があれば、全くのノータッチのまま生涯を終えることになり、その人にとって知らなかった世界は存在していなかったようなものであります。
特にそう思ったのは、「悪い人」と「善良な人」の世界でした。
「悪い人」は悪い生き方をしたいと思い、悪い世界に足を踏み入れ、悪い世界の中で悪い人達と共に、人生を歩んでいくことになります。
ドラマや映画等の作品でも、悪人は悪人に対して、どこまでも卑劣な手を使って相手を貶めるというシーンがあります。
しかしそれを、なんというか、普通の人に対してはそのようにはしない。あくまで悪人に対してのみ牙を剥くというところに、漠然と違和感を覚えた時がありました。
同じ悪人に対して、相手の弱みを握って脅して卑劣な取引を成立させたかと思いきや、一方で売店では普通の人と同じように飲み物を買い、車も(概ね)交通ルール通りに運転している。
悪い人の前ではどこまでも悪人なのに、それ以外の人の前では普通の人のようであって、基本的に害を与えない、普通の人の人生に干渉しない。
同じ世界に住んでいるのに、それって何か不思議だな~と思いました。
もちろん全てがそうだということではなく、詐欺師が善良な人を騙したり、何かのとばっちりを受けたりすることもありますが、基本的にはそのようになっていて、
つまり、自分さえ悪の道に行かなければ、騙されたりしなければ、概ね平和を享受して生きられる世界となっていました。
その一方で、悪い人達の世界は、搾取・争い・暴力・怒り・怨み・憎しみ・嘘・騙し・盗み・裏切り・理不尽 こういったものが絶えない世界であり、その悪影響は避けようもありません。
悪さの次元が上がるにつれ、よりそうなっていくことでしょう。
漫画や映画等のアウトロー系の作品を見ると、
その悪人の主人公を中心に描き、やられてしまっては作品が続かないので、悪い事をやっても生き延びていられるように「錯覚」してしまいがちですが、
裏を返せば、その主人公たち「以外の悪人」は、その主人公たちによって、悉く滅んでいる訳です。
結局のところは、悪い人どうしが集まると、必ず争い合うようになっているので、自然淘汰されていく。そういう仕組みが存在している。
これだけを見ても、「悪いことはするもんじゃない」という風に思えます。
現実にも、「悪い人が悪いことをやって逮捕された」「悪人どうしの争い合いが起きた」というニュースが、連日、山のように報じられています。
こういったニュースは氷山の一角に過ぎず、報じられていないようなもの、表沙汰になっていないものも、まだまだたくさんあることでしょう。
しかもそれだけではなく、この世の中には悪が消え去って行く「不思議な力」まで働いています。
どんどん悪いことが出来ない世の中になっていった不思議 この世界に働く「見えない力」
なので客観的に見ると、世の中で悪を行っても、概ねその通りに報われるように「なっていた」訳なのです。
今日も世界のどこかで、人知れずに悪い人が行った悪の通りに報われている。
「自分に限ってそんなことにはならないだろう」と誰もが思っていたはずです。「自分は行った悪の通りに報われるだろう」と思いながら悪を行う人は、おそらく誰もいないでしょう。
痛い目を見た時に、早い段階で悔い改められれば幸いですが、
刑務所の中で気付く方、あるいは命を落としてから気付く方もいらっしゃる訳です。
どうか世の中にはこのような法則性があるということが、広く知れ渡り、
自らの悪によって不幸を抱える人が減り、善人はさらに幸福に生きられるようになり、それによって誰もが幸せに生きられる世界がこの地に訪れますことを、心よりお祈りいたします。