私はこれまでの人生「自分の生きたいように生きる」を、地で行くような生き方をしてきました。
しかしそれは、神様の世界では「自分中心」という罪であり、神様とは真逆の性質であるのだと御言葉から学びました。
神様は、たとえ人類が神様の存在に気づかなくとも、人間から何も返って来なくとも、それどころか支配者層達が意図的に神様に反逆していようとも、
私達人類を愛し、惜しみなく愛を注がれてこられました。
つまり神様は、「自分の為に生きる」とは真逆の性質を持たれている方であり、神様の愛はどこまでも「利他的な愛」なのだと、御言葉で学ばさせていただきました。
私たち義人も神様に倣い、神様のような愛で生きられるようにならなければいけない。義人達がそのような愛を持ってこそ、本当に幸福な世界が訪れるのだ、と仰られています。
そして御言葉内で神様は、中心者(RAPTさん)を愛しなさい。ということを伝えられています。
最初はどういうことなのか、その言葉の意味が分かりませんでしたが、
御言葉を聞いている内に、愛すると言っても、世の中的な俗的な意味の愛するということではなく、助けるということ、支えるということなのだと分かってきました。
例えば、女性であれば男性に仕えること尽くすということは、男女自体が持つ性質として自然と行いやすいことであると思います。実際にKAWATAさんやNANAさんを見てもそう感じます。
そういう意味では男性の方が難しいことであり、
男性でも、プライドの低い人、接客業などでそういった仕えることを身につけている人、子分気質な人、等々、色々な方がいらっしゃり、そういう方であれば最初から自然と行えるのかもしれません。
しかし私は、そういった地点からかけ離れたような人生であった為に、余計に難しいと感じてしまいました。
それでも、善良に生きてきたり霊感が強かったりして、御言葉で言われているようなことが最初から自分の身に起きている場合、この御言葉に出会わせてくれて伝えてくれているRAPTさんに感謝をする。という風になると思うのですが、私の場合は、そういった信仰生活ではありませんでした。
挙句の果てにはサタンも働いて、中心者の存在を疑わせようとしたり、憎むようにしたり、様々な悪い方に考えを誘導してくると、御言葉でも伝えられていました。
私は悪い性質が多かったが故に、その影響も余計に受けていたと思います。
そういう中で、この時に思っていたことを、Instagramの方に投稿していました。
今から振り返ってみると、私の信仰生活は「自分中心」の性質を持っていたら難しいことが、頻繁に起こっていたように思いました。
それは、そういった経験を通して自分中心の性質が無くなるようにと、導いてくださっていたのかもしれない。と思いました!